僕は二つの世界に住んでいる

現代社会と科学の空白に迷い込んだ人物を辿るブログ。故人の墓碑銘となれば幸いです。

「中川君はとても怯えていて、話す声も震えていた」

私はこの証言を書物で読んだのは藤田庄市氏のこの著書内でした。 中川さんが死刑になった直後に、一番欲しい情報が掲載されていた本で、 今も手許においています。 新宿駅青酸ガス事件のときに共犯者であったヤスさん(林泰男)の証言ですが、最初にヤスさん…

「あなたは本当にグルなんですか」

昨日に引き続きエントリーです。 タイトル「あなたは本当にグルなんですか」。 これは、1999年11月10日の杉本繫郎・豊田亨の公判にて、証人出廷して、不規則発言をし続けた麻原に対し、杉本繫郎・豊田亨の二人がそれぞれ自分たちの思いをぶつけた時のことで…

5回目の7月26日を迎えて

本日は7月26日。ここ数回のブログに登場してもらっている林(小池)泰男さんのほか、6名の方々が、自らの命で罪を償われた日でした。 多分テレビでも特集も組まれないように思います。 林泰男さんは、外部交通者でもあった、田口ランディさんに死刑になるこ…

「尊師は信じる、信じないの対象ではなかった」

中川智正さんが死刑執行されてから、ちょうど5年が経ちました。 私は中川さんが死刑執行された報道に接し、そういえば、私は中川さんという人を知らないと思い、中川さんに関する書籍や事件当時の新聞記事あさりを始めてしまったことで 5年後の今でも続く…

【殺人マシーン】林(小池)泰男の人物像【ヤスさん】

こちらのブログ、本当に久しぶりの更新となってしまいました。 今回は林(小池)泰男さんの人物像について説明したいと思います。 このブログは中川智正さんに関する内容ですが、林(小池)泰男さんの裁判での言動を知ることによって、中川さんに関して新た…

「麻原尊師をどう思う?」

この言葉は、1996(平成8)年11月13日の中川智正公判において、被告である中川智正さんが、証人出廷してきた共犯者・魚崎仁に直接尋ねたものです。(「毎日新聞」1996年12月10日大阪朝刊) 魚崎仁は、灘高校から東大医学部を経て医師となり、その後オウム真…

どうして捕まえてくれなかったのでしょう。都庁の職員の指が飛ばされる前に

この言葉は1996年5月21日の中川智正第五回公判にて、 中川さん自身が「事件全体について、二点述べたい」と珍しく意見陳述をしたなかの 言葉です。 調書では「テロ」という言葉が出てくるが、その意識は仲間うちにはなかった。 逮捕されてから分かったことだ…

中川智正(サリン製造役)から見た地下鉄サリン事件

本日、地下鉄サリン事件から27年です。 私はこういうブログを書いているため、何となく献花に三年ほど行っておりましたが、今年は、翌日早朝から仕事のため、いくのをやめました。 私は地下鉄サリン事件に遭遇せずに済んだけれどその日被害に遭われて亡く…

泣いてしまったのは、林(郁夫)さんがかわいそうだったから

このオウム法廷の中で、何度か公判に証人として出廷しあっている同じ医師免許を持つ者として一括りにされている感じもする中川智正さん、林郁夫さんですが 私個人は、林郁夫さんと中川智正さんは全然違うタイプだと考えています。 林郁夫さんは、まだ世間の…

「慟哭の法廷」を見直す

林郁夫さんの裁判は、「慟哭の法廷」と言われていました。実際、佐木隆三氏はそれをタイトルに著書を出しています。 慟哭 小説・林郁夫裁判 (講談社文庫) 作者:佐木隆三 講談社 Amazon かつての教祖の裁判に証人出廷し、「自分たちが殺してしまった人たちが…

オウム真理教の医療とイニシエーション

しばらく林郁夫先生関係のエントリーが続きます。それは、林郁夫『オウムと私』という著書があるからです。 オウムと私 (文春文庫) 作者:林 郁夫 文藝春秋 Amazon この本は、林郁夫さんが無期懲役囚として千葉刑務所で書かれた書物です。 オウム真理教の医療…

「サリンを、撒きました。」

この言葉は、林郁夫さんが警察に自首した時の言葉です。 そして、この言葉はドラマでも使われました。 個人的には、平田満さん演ずる林郁夫さんの自首シーンが印象的で、姿は似ていないけれど、演技で林郁夫を表現されたと感じました。 なぜそう思ったかとい…

オウム真理教附属医院と中川智正

先日、こちらの記事を見て、 中野区の図書館に行きたくなりました。 news.yahoo.co.jp >前日には中野中央図書館に赴いた。受付でオウム事件の関連書籍は200冊を超えていることがわかり、 そんなにたくさんあるのか! 実際中央図書館(最寄りは中野駅)に行…

抽象的なことばかり言っているんですね

これは、1996(平成8)4月24日にようやく開かれた初公判以降の教祖・麻原彰晃の言動に関する新聞記事を読んだ中川智正さんの所感でした。 (「朝日新聞」1996年5月21日夕刊) 教祖の初公判の様子については、青沼陽一郎氏の『オウム裁判傍笑記』が優れてい…

「以前と変わらず尊師に従っているのは、土谷と新実と、自分の三人だけですね」

エントリーのタイトルにも使った、この中川さんの言葉 「以前と変わらず尊師に従っているのは、土谷と新実と、自分の三人だけですね」 はいつの頃の言葉でしょうか。 1996年1月23日の第三回公判、松本サリン事件の審理に入る頃に、「周囲に漏らした」言葉で…

「消えてなくなりたい気持ちです」(坂本弁護士一家殺害事件初審理)

4回目の7月6日、午前8時57分を迎えました。 ブログのネタにさせていただいている中川智正さんの冥福を祈ります。 私がオウム真理教関係死刑囚のうち、中川智正さんに注目するようになったのは、 「自分の選んだ道(医学)で挫折し、心身壊れたのがきっかけで…

一審判決まで8年かかった裁判

前回のエントリーでは、中川さんの初公判について書きました。 初公判の時点でオウム真理教がサリン製造をしたことは明らかになったし、 その他、中川さん自身も事件の詳細について供述をしているという報道もありました。 にも、かかわらず、中川さんの裁判…

プロレス中継なみに騒がれた初公判

中川さんの初公判は、当時を思い出すと 裁判傍聴希望者が4158人と、「ロッキード裁判」田中角栄元首相の判決時を超えるほど世間の関心が高かったと 思います。 私は当時を思い出すと、中川智正さんの裁判というよりも、その二日後に開かれる予定だった 麻原…

献花めぐり@2021

さて、今年も地下鉄サリン事件の日に 献花めぐりをします。 お花はこんな感じで、日比谷花壇・アトレ恵比寿店さんで作っていただきました。 数日前に来店予約をして行きました。 こちらの花屋さん、美容室に行ったような気持ちにさせてくれました。 (駅中の…

地下鉄サリン事件ーーー全駅献花巡り

私が地下鉄サリン事件の献花に行くようになったのは、2019年からでした。 職場が東京メトロ(事件時は営団地下鉄)の沿線にあったのと、ブログで中川智正さんやオウム真理教事件について書くようになってからです。 最初に献花に行った2019年は仕事終わりに…

2018年7月2日付アンソニー・トゥ博士宛メールの意味

映画「わたしは金正男を殺していない」を鑑賞した感想のつもりで、 当初は3エントリーのつもりでしたが、 なんと、これで6エントリーも、VX事件に関して書くことができました。 書いているうちに、あの話も書きたいと思いながら いつの間にか増えていきまし…

オウム真理教VX殺害事件の実行犯・ガル

今回のエントリーでは、 オウム真理教のVX事件(駐車場経営者・会社員殺害・オウム真理教被害者の会会長)時に、実行犯であった「ガル」がどんな人物であったかについて書いていきます。 「ガル」はすでに刑期を終えて出所しています。 実名は、書籍などによ…

オウム真理教のVX事件

麻原は、VXが完成すると、教団に敵対すると判断した人物を個別に殺害するために VXを使用することを実行犯に命じました。 期間は1994年9月、ちょうどVXが完成した頃から1995年初までです。 1995年元旦の読売新聞に、オウム真理教教団施設周辺でサリン残留物…

オウム真理教とVX製造

今回のエントリーでは、オウム真理教がなぜVXを製造したのかを記します。 VXは、イギリスで合成された物質で、その毒性は人類がつくった化学物質の中で最も高いとされており、温帯では一週間効果が残留すると言われています。 アメリカ陸軍は、イギリスに核…

中川死刑囚、金正男暗殺にVXが使われたと指摘

2017年2月13日、金正男氏がマレーシアで殺害されたとのニュースがありました。 www.bbc.com 北朝鮮の故金正日総書記の長男で、金正恩・朝鮮労働党委員長の異母兄、金正男氏が13日午前、マレーシアの首都クアラルンプールの国際空港で殺害された。女性が後ろ…

映画「わたしは金正男を殺していない」を観ました。

先日 本当に久しぶりに 映画を観に行きました。 koroshitenai.com 普段、友人から映画を誘われても、断ることが多い私です。 長い時間映画を観て疲れて寝てしまうからです。 そんな私が、わざわざ大森の映画館まで足を運んだのは、「映画のどこかに、中川智…

「被害者の親」から「加害者の親」へー支える覚悟、固めた母

中川智正さんの話をする上で避けて通れないのは、 お母様の存在です。 お母様については当時から新聞記者の取材にも応じられていて、息子があれだけの事件に関与したのに、逃げも隠れもしないで偉い方だと感じていました。 もし私が中川さんぐらいの犯罪を犯…

逮捕時の中川さん

中川智正さんが逮捕されたのは、1995年5月17日でした。 その前日に教祖が逮捕されています。 当時の新聞には、上九一色村で病気の教祖に付き添っていたなどと書かれていましたが、実際は教祖の命令により、テロリストとして都内のアジトを転々とした末、警察…

「医師らしい医師」とは?

中川智正さんがオウム真理教に傾倒するようになったきっかけは 何だったのでしょうか。 「神秘体験」が原因だと書かれて、オウム真理教に入信する人に多く共通するような 体験があることを記されて、病院を退職して出家したのだと簡単に書かれてしまうようで…

中川さんは「神童」だったのか?

中川智正さんと言えば、 これまでの学歴から(国立大附属幼稚園から中学を経て地元一の進学校入学、その後 医学部入学)、実に簡単に「天才」「秀才」、果ては「神童」と称されているようです。 神童については、この新聞記事だけだと思います・・・ https:/…