僕は二つの世界に住んでいる

現代社会と科学の空白に迷い込んだ人物を辿るブログ。故人の墓碑銘となれば幸いです。

中川さんは「神童」だったのか?

中川智正さんと言えば、

これまでの学歴から(国立大附属幼稚園から中学を経て地元一の進学校入学、その後

医学部入学)、実に簡単に「天才」「秀才」、果ては「神童」と称されているようです。

神童については、この新聞記事だけだと思います・・・

https://www.sankei.com/west/amp/180706/wst1807060040-a.html

確かに、医学部に入学できる学力の人と中々お近づきになる機会のない私からすると、

中川さんは「天才」「秀才」「神童」とタグ付けしたくはなります。

オウム事件の被告の中で、特に高学歴のひとは、まず学歴を記されて、犯罪内容を書かれて、「このような人がなぜ(盲学校卒の)麻原に騙された?」と書かれてしまうことが多いと思います。

 

実際はどうだったのでしょうか・・・。

 

「読売新聞」1995年5月24日夕刊

・友達は多かったが目立たなかった。授業中発言もすることなく、リーダーシップとることもなかった。成績はずっと中の上で、卒業直前の期末試験で学年三番だった

(中学時代の同級生)

・英訳は完璧で常にトップだった。(高校時代に通った英語塾の友人)

・人当たりがよく、人望があった。大学寮の彼の部屋には、いつも友人が集まって酒を飲んでいた。(医大の同級生)

 

週刊文春』(1995/8/17、24の江川紹子さん記事)

オバQの口真似をやって笑わせていた。
山陽本線旭川を渡る鉄橋の下に友達と土曜午前2時に酒もって集合、朝まで飲み明かす(高校生は飲酒ダメなんじゃ?)

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岡山城旭川。中川さんたちが飲み会していたのはここより下流だろう)

・飲みながらハーモニカを吹いていた
・カブトムシやカナブンを観察するのが好き

・志望大学を岡大医学部か京都府医大にするか迷った時に占いの結果京都府医大にした。
・友達と酒の飲みすぎ遊びすぎのため成績が悪かった。
→学長から呼び出しされたり、留年を乗り切ったことをネタに変な自慢をしていた

 

この文春記事から読むに、中川さんという人は学力はかなりあったけれど、

それ以上にキャラクターが面白い方だと思いました。

 

志望大学を「占いの結果で」京都府立医科大学に決めたことや、

医大で成績が悪く、学長から直々に呼び出されて注意を受けながら、スレスレで留年を乗り切ったネタを自慢に変えていたあたり。

何とも面白い方だと思います。

「神童」「秀才」などと割り切ってしまうのはもったいないぐらいの人だったと思います。

 

高校入試前、大学入試前など「やらなきゃならない」時には猛烈に勉強して

なんとか切り抜けて結果(県内一の進学校合格と、医学部合格)を出す一方で、

学校などで皆とワイワイやることも好きで、文化祭準備など頼まれなくても頑張って徹夜してしまうタイプ。

紋切り型に「秀才」「神童」と断ずるにはあまりにもったいない人物だと思います。

 

中川さん本人は、「勉強は追い込まれてからやれば何とかなる」と思っていたように

私は思います。

医学部卒業、医師国家試験までは、最後は騙し騙しだったかもしれないけど乗り切って来られた。

それがどうにもならなくなってしまって、限界状況をついに迎えてしまったのが、

大阪鉄道病院での研修医時代ではなかったのではないでしょうか。