2018年7月2日付アンソニー・トゥ博士宛メールの意味
映画「わたしは金正男を殺していない」を鑑賞した感想のつもりで、
当初は3エントリーのつもりでしたが、
なんと、これで6エントリーも、VX事件に関して書くことができました。
書いているうちに、あの話も書きたいと思いながら
いつの間にか増えていきました。
本題です。
前回エントリーではオウム真理教VX事件の実行犯・ガルについて、何を考えていたのか
書いてみました。
ガルについては、調べなかったならば「漫画家・小林よしのり氏をVX襲撃しようとした犯人」で終わっていました。
ガルは、元自衛官にしては、珍しくどこでも意見具申できる人だったのだということや、意見具申してそれでもやれと言われて実行に移すところは、軍人向きな人物だったと思います。オウム真理教から二度も脱走しながら麻原は彼を殺そうとはしなかったぐらい。そして現実的なところが。
その人物から見た中川智正さんらは、犯行現場でも落ち着き払っているほど、殺人慣れしているという恐怖感を与えていた側面も知りました。
これで、私個人としてはようやく、中川智正さんが執行直前にトゥ先生に宛てた手紙の意味が少しわかった気がします。
この手紙です。
最初この手紙を見た時に、日付に震えました。
7月2日・・・。
もしかして広島拘置所にも死刑執行指揮書が届いた日だったのか、とずっと思っていました。これは今でも分かりません。
トゥ先生もこの手紙については、深く触れず、読者がどう感じるかに任せていた感がありました。
手紙からは、ものすごく焦りと言葉にならないイライラ感が伝わってきました。
これは死刑囚の置かれた特殊な立場だからからかとも思っていたのですが、
これまで6エントリー書いてきてようやくわかった気がしました。
中川智正さんは、金正男氏をVXで殺害した二人の女性に、演技指導していた北朝鮮工作員の立場と、かつての注射器をガルに渡した自分とを重ね合わせて、
あの論文を書いたのだと。
かつて中川智正さんは、一審時に
「日本の歴史、世界の歴史に汚点として残ることをした、と少しずつ分かってきた。」
(「朝日新聞」2000年3月31日朝刊)と証言しました。
その後も、リチャード・ダンジックアメリカ海軍長官が面会を求めてきたのに応じたときにも、対話を重ねながら、その気持ちを持ち続けて自分たちのやったことを出来る範囲で説明をしてきました。
ダンジック長官は、「オウム真理教は、テロのために生物兵器と化学兵器を開発しようとした組織の貴重なケースであり、日本以外の国にとってもテロ対策のために大変重要」
「日本の捜査当局は徹底的に捜査しました。捜査当局は事件に関しては理解していると思います。しかし、生物兵器やサリン以外の化学兵器のプログラムに関しては、人が殺されなかったため関心が薄かったと思う。これは刑事訴追の対象ではなかったためです。」(日本では刑事裁判上で有罪確定することに主眼を置いているため、サリンやVXを製造してそれを殺人に用いることの軍事的視点がどうしても欠ける)
世界では化学兵器禁止条約があって加盟している国が多いけれど、一方で1990年代の前後数年間のイラクでは、経皮毒性が低い事と、一段階で容易にVXを生成できることを理由としてVX塩酸塩をVXの貯蔵形態の一つとして製造しました。
オウム真理教は、当時そんなイラクの状況も知らないで、麻原の指示でVXを製造し、教団に敵対する人物を殺すのに用いました。駐車場経営者の殺害に失敗したときのVXの形態が、イラクのVXの貯蔵形態でもあった「VX塩酸塩」でした。
オウム真理教は、VX塩酸塩で駐車場経営者の殺害に失敗したあと、今度はVXを完成させたものを注射器につめて、それを相手にひっかければ殺せるとしていました。
ただし、完成したVXを保管し続けるのは難しい・・・。
(VX塩酸塩ならば保管に適している)
VX事件がガルや井上嘉浩さんの供述によって明らかになると、日本では刑事裁判として問題にはなったけれど、諸外国では、見ないふりをして、VXをどのようにして製造し、殺害に用いたのかなど、小さいことでもVXに関してのことを日本から知ろうとしています。(テロに関与した人物は普通は語りたがらないので、それを語りたいなどという人物は諸外国にとって貴重な情報源になり得るのです)。
中川智正さんは、一審時でしみじみ証言した「世界の歴史に恥になることをした」ということを、確定死刑囚生活全般を通して、さらに深く実感したのでしょう。
前半は、高橋克也被告の裁判に出廷したことと、後半は北朝鮮による金正男氏の暗殺事件を獄中から化学的に解明することを通して。
その深さは、中川智正さんただ一人しか分からないものだったと思います。
私は、最初、オウムの死刑囚が獄中から化学論文を書いたという記事に接した時、
さすが高学歴らしいとか、これで死刑執行されないかもとか感じたものでしたが、
そのような日本での軽薄な反応に全力でノーというべく、中川智正さんは7月2日の手紙を書いたのです。
私は中川さんがVX事件にどのように関与していたなど、あまり知りませんでした。
VXを製造していたのかぐらいです。
VX製造はしておらず、医療役と実行犯に注射器を渡してみている役という、
クアラルンプール空港でビデオに映りながらいつのまにか北朝鮮に帰国していると思われている男こそ、北朝鮮の「中川智正」だったのです。
その北朝鮮の「中川智正」役が、果たしてどのようにしてVXの知識を身に着けたのか?そんなところも想像しながら論文を書く死刑囚など世界中探してもいないと思います。この困難さと、自らの犯した罪の大きさを化学論文の中に出して世に問うた上で、
自分は、日本における罪の償いでもある、絞首刑を受けるための日々を送ってきたと。
論文執筆が死刑執行のタイミングには何も影響がないこと。
むしろ自分が論文を書いたことで、自分の犯した犯罪の意義を、より深く思い知ることとなってしまい、苦しかっただろうと思います。
遠藤誠一さんのように黙っていたほうが、実は自分の死刑囚生活における精神衛生上にも楽だったと思います。
北朝鮮に本当にオウム真理教を研究する部署があるかどうかはわからないけれど、
金正男氏の暗殺の件では、オウム真理教の犯したVX事件を体系的に研究していなければ、VXの前段階の物質を持ち込んで、ベビーオイルに溶かして、金正男氏の顔面でVXを合成して殺すという方法を思いつかないでしょう。
そのきっかけを与えてしまったかつての自分たちの罪は死んでも償いきれない・・・。
おそらくそんなところで、執行後2年が経とうとする2020年3月
テロを思いとどまってほしい、自分は遅かったけれど・・・という生前の英文メッセージを、ご遺族や弁護士の方が日本のマスコミに出したのだと思います。
年月日は書いてないので、いつこのような英文を書いたのかは分からないです。
25年という歳月を経て、確定死刑囚の執行直前になって、中川さんが最後にふりしぼって言いたかったことが「被害者だけではなく、加害者も出したくない」という思いでした。