私が地下鉄サリン事件の献花に行くようになったのは、2019年からでした。
職場が東京メトロ(事件時は営団地下鉄)の沿線にあったのと、ブログで中川智正さんやオウム真理教事件について書くようになってからです。
最初に献花に行った2019年は仕事終わりに行きました(遠かったので、丸ノ内線中野坂上駅は行かなかった)。
オフィス街のお花屋さんに立ち寄り、献花に行きたいので花束を作ってほしいとお願いしたところ、当時の地下鉄サリン事件の話になりました。
意外に忘れられている事件と思われていますが、そのようなことはないと思います。
報道が事件のあった毎年3月20日ぐらいしか取り上げないからだと思います。
「あと少し出社時間が早かったら、地下鉄に乗っていた」とかそんな話をしながら、
献花に相応しい花束を作っていただきました。
昨2020年は、コロナ禍に入っていた頃でした。
普段は花束を買う習慣のない私も、花束を買う機会にもなるかなあという気持ちで、数日前に、お花屋さんに花束を作ってほしいという予約の電話を入れました。
このような小さな花束を六束作っていただきました。
祝日でもあったので、空いた地下鉄に乗り、献花台のある駅全駅をまわることができました。
- 献花台設置駅
霞ヶ関駅(千代田線・丸ノ内線・日比谷線)、駅にパネルもある。
- 献花要領
上記各駅の事務室に直接花を持っていき、静かに花を捧げ、記帳をする。
(写真撮影は断られました)
あくまで地下鉄サリン事件のあった日のみ、駅務室の一部に白い布を掛けた献花台 を設置するというもの。
通常業務も忙しいなかで実施しているため、後日花束を駅宛に郵送するというのも駅務を増やしてしまうのと、花束のためにも良くないと思います。
献花台設置駅を改めてみると、日比谷線沿線が多いです。
これは、実行役二人のもったサリン袋が5袋で、それらを上下線両方の実行役がそれぞれ破裂させたため、死者だけでなく、今なお被害に苦しむ人を多数出してしまったということになります。
日比谷線の北千住方面からのった実行犯は、茅場町など金融街を狙ったのではないか、と予測した識者もいましたが、実行犯はそのようなことは一切考えてなかったです。
指示通りサリンの入った袋に傘を突き刺すというだけを考えていたのでした。
特に、3袋受け持ったこの人は、教団の方針についていけなかったけれど、実行役にされてしまった以上はやらなければという気持ちで、人より多い3袋を受け持ったのでした。
指示役(上長)から、一袋多く受け持ってほしいという風に言われて断れなかったことで、三袋を破裂させ、日比谷線をパニックに陥れた・・・。
オウム真理教の恐ろしさについては、事件当時と現在とは違った見方をするようになりました。実行犯の忠実さというのが、ごく普通の組織人と変わらない。
指示通りに忠実に実施したまで、というもので、異論があったとしても意見はしないというのが、今の私と同じだと感じました。
実行犯には、サリン事件全体がどうなるかを見通せた人は誰もいませんでした。
ただ、「こんなことをやったらミイラ取りがミイラになるだけだ」とこそっと言い合うだけでした。
サリン袋を破裂させた者、サリンを製造した者は死刑、サリン袋を地下鉄で破るものを送迎した者は無期懲役(ただ、他の事件で実行役だった場合は死刑)。
では、麻原ほか、地下鉄サリン事件の計画をした者たちのその後はどうだったでしょうか。
事件二日前のリムジン謀議にいた者(麻原、村井、井上、遠藤、青山、石川)のうち、
麻原、井上、遠藤は死刑となり、村井は殺害されて死亡しましたが、青山と石川は逮捕されたものの、この件に関して犯行に加担する発言がないとされて立件されなかったのでした。
オウム裁判でもそうでしたが、実行役が一番重罪で、事件の計画者が責任を問われなかったことが納得できないです。
オウム裁判の場合は、実行役がたまたま、高学歴者ばかりだったためか、
「高学歴エリートがなぜ」!という論調で報道されるのがおかしいと思います。
なぜなら、今の日本の大方の組織では、一流大学を出た人間でもいきなり組織のトップにすることがないからです。
まず組織の文化に染まらせるために、いろんな仕事をさせていくため、高学歴で入った者でも最下の仕事を数年続けていくこととなることが今も多いはずです。
地下鉄サリン事件の実行犯で高学歴エリートと言われた人は、入った組織が一流企業ではなく、オウム真理教という組織だったので、そこで生きるために合わせただけだったと思います。ある日、上長の村井から指示を受けて忠実に実行したまで、としかいいようがないと思います。
計画立案者で逮捕されていた二人がなぜ責任を問われなかったのか。麻原とただリムジンに同乗していただけ、というのもおかしいと思います。リムジンで発言していた村井に指示される実行犯よりも、教団内での立場が上のはずです。
計画立案者でリムジンに同乗していたけれど、責任に問われなかった二人は、結局地下鉄サリン事件で裁かれず、被害者の声も聞かないまま、世間に戻っています。
「計画立案者は、その計画がどんなに失敗に終わっても責任を問われることがない」
地下鉄サリン事件など、オウム真理教事件の裁判を傍聴されていた方々がよく言われるのは、
地下鉄サリン事件以前にオウム真理教を強制捜査する機会があったのに、
なぜ警察は地下鉄サリン事件までオウム真理教の強制捜査をしなかったのだろう、と言われます。
私もそう思います。
本日、オウム真理教関連ページを更新しました。
— 公安調査庁 (@MOJ_PSIA) March 12, 2021
■#地下鉄サリン事件■からまもなく26年。事件を引き起こした■#オウム真理教■が、団体名を変えるなどして今も活動していることを知っていますか?
詳細はこちら➡https://t.co/dklUqFY98g pic.twitter.com/ooIHgimPoB
せめて、坂本弁護士一家殺害事件(1989年)段階でオウム真理教を捜査してくれていたら、教団武装化も阻止できただろうにと思います。1995年の地下鉄サリン事件までの期間に信徒リンチや拉致事件などもなかっただろうと思います。
地下鉄サリン事件は、我が国が、国民の安全や生命を実は守ってくれない、ということを示してくれた一つだったのではないかと今では思っています。
・・・そんなことを思いながら、また今年も献花に行ってきます。
献花台が設置されているのはあくまで3月20日だけだから・・・。