僕は二つの世界に住んでいる

現代社会と科学の空白に迷い込んだ人物を辿るブログ。故人の墓碑銘となれば幸いです。

「消えてなくなりたい気持ちです」(坂本弁護士一家殺害事件初審理)

4回目の7月6日、午前8時57分を迎えました。

ブログのネタにさせていただいている中川智正さんの冥福を祈ります。

私がオウム真理教関係死刑囚のうち、中川智正さんに注目するようになったのは、

「自分の選んだ道(医学)で挫折し、心身壊れたのがきっかけでオウム真理教に傾倒するようになった」というのが執行後に自分なりに調べて分かってきたからです。

今年もTwitterでは4月末ぐらいから、新社会人になられたものの、進んだ世界が違うので方向転換するというものがいくつか流れてきていました。

公務員、教師など、高い学力を有し、その能力を社会で活かそうという志を一度は持ちながら、実務に入ってから違和感を覚えた若い人たちです。

大学などでは、私が通っていたときより以上に就職支援を手厚くしているように見受けられます。大学を卒業すると同時にその支援のハシゴは事実上外されてしまいます。

そのような環境の変化を受け容れられずもがきながら限界状況を乗り切ることが出来るのは、その時の状況しかない。

まさに「ガチャガチャ」「運ゲー」の中に放り込まれた若者のうちのあるものは、救いを求めてオウム真理教のような団体にも行く可能性もあるのではないでしょうか。

 

私は、もし中川智正さんと同じく医師免許取得、研修医挫折の状態になったなら、オウムに入っていたかもしれないとある時母親に告げ、キレられたことがあります。

いやあなたの娘(つまり私)も高学歴(一応)だけど挫折して派遣社員しかできなかったのだ。オウムに入れる適性がなかっただけなんだよ・・・。

 地下鉄サリン事件などの事件日に少しオウム真理教の話題になると、

「やはり高学歴ではなくて普通がいいね」と軽く言えてしまう、おそらく自分は新卒で大企業に入社できて、途中子会社に転籍や意に沿わない異動などあったかもしれないけれど、どうにか会社員の人生を生きてこられた人がいます。

うつ病にもならずに・・・。

 

平成だろうと令和の今だろうと、大卒の挫折者は一定数いると思います。

けれどそれを、発達障害精神障害ニート、自殺者などとタグ付けして

「なかったひと」扱いにしてきたのが問題なのではないかなと思います。

今年もまた、「高学歴の信徒が盲学校卒の麻原に騙された」という話が一部だけ、断片的に語られるだけか・・・。

いや忘れ去られるよりはましかもしれない。

そんなことで、とりあえずブログに関しては、自分のペースで書いていこうと思います。まだまだ長い道ですが、よろしくお願いいたします。

では、本日のエントリーは以下になります。

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1996(平成8)年3月12日。

中川智正第4回公判にて、坂本弁護士一家殺害事件の審理が開始されました。

この日の中川さんは、どこか落ち着きがなかったとのことです。

おそらく、自分が直接手を下した事件だったからなのか・・・。

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起訴状朗読を聞いたあとで、裁判長に対して

 

「事実としては間違っていません。

ただ、あのー、事件の前から奥さんと赤ちゃんを殺す話があったのではなく

現場近くで突然言われました。

現場では、子供がいるのでどうにかしろ、と言われ、

私が赤ちゃんの口を押さえました。 

たしか村井(秀夫)さんだと思いますが途中で交代して、私は奥さんの方に行きました。坂本弁護士には私は手を下してしまいました。」

と語りました。

 

検察側がこの日明らかにした早川紀代秀さん(共犯者)の供述調書には

中川さんは犯行の直後、「子どもを殺してしまいました。ハハハハ・・・・」と力なく笑い、少しおかしくなっている様子だったとのこと。

この日の法廷で、罪状認否が終わりかけた頃

中川さんは「あのーひとこと」と話し始めました。

「自暴自棄になっているわけではありませんが、これ以上迷惑をかけたくない。

自分自身大丈夫だと思いますが、

気持ちとしては消えてなくなりたい

これはこの裁判を傍聴された江川紹子さんの『「オウム真理教」裁判傍聴記1』にも

記載されています。

初公判でサリン製造を認め、教団を脱会し、坂本弁護士事件も認め

「消えてなくなりたい」という中川さん・・・。

初公判前のマスコミ記事にも取調の時に

「あれ(オウム)は狂団ですね」

「私は死刑ですね」などと泣いて、反省しているなど書かれていたのを、世間は皆うのみにしたと思います。

私はうのみにしていました(過去形)。

中川さんが死刑囚として出廷するニュースを少し気に留めましたが、

「いつの間にか脱会して反省している。サリンを作ったり殺人したのだから死刑は当然だよね。麻原についていったばかりに気の毒な元お医者さん」

と思っていました。

しかし、実際は中川さん自身が証言を拒否、曖昧にするなどして、他のオウム被告に比べて長期化していたし、教祖との関係が離れたということにしても、離れたからといってマインド・コントロールを脱したとかいう言い方では分からないものが中川さんにはついて回ることとなります。中川さん自身も確定死刑囚となってもやはり教祖とのことを考えない日はなかったと思いますが、この人の場合は通常のカルト宗教におけるマインド・コントロール論に当てはめてはいけないと思います。。

降幡賢一さんは「脱会を表明し、罪を認めることが教祖から離反した証拠と考えたが、それは大きな誤解だった」と書かれていて、以後の中川裁判関係は裁判で語られたことを記載する方針にしたようです。

 

 もう一つ、この日の中川裁判では、重要な指摘がありました。

それは、TBSビデオ問題の件です。

検察側がTBS側に忖度しているのではないかということです。

事実は早川調書や中川調書にもあるように、TBSはオウム真理教の早川・上祐・青山が1989年10月26日に訪問してきた際に、坂本弁護士が教団を批判する内容のビデオをみせていました。

 TBSが見せたビデオの内容がまさに、オウム真理教の批判内容なのだから、

当然、早川・上祐・青山は、教団に帰ればTBSが見せた坂本弁護士インタビュー内容を麻原に報告します。その9日後の11月4日に坂本弁護士一家殺害事件が起こるという、まさに事件のきっかけともなる件ですが

 なぜか検察は相手が主要マスコミTBSのため、裁判の際に「あいまいに」

「交渉の過程で、坂本弁護士がインタビューでオウムを誹謗していることを知った」というにとどめているのです。

このことがTBSの責任問題に発展したこともまた、忘れてはいけないと思います。

おそらく令和の今ならば、もっと巧妙に実施するのではないかと思うのですが・・・。

まだ平成の頃は大企業のマスコミにも、まだ最後の自浄作用はあったのかもしれない・・・。そんな気がします。

オウム真理教が起こした数々の事件を批判・反省し続けるのは当然だけど、

オウム真理教報道に関連したマスコミの不祥事についても、批判の目を持つことが必要だと思います。

今ならおそらく、個人情報保護を盾に絶対にマスコミは不祥事を謝罪することはないでしょう。

「わーたーしはやってないー。けーぱくだー」を嗤う資格があるのでしょうか。