僕は二つの世界に住んでいる

現代社会と科学の空白に迷い込んだ人物を辿るブログ。故人の墓碑銘となれば幸いです。

オウム真理教附属医院と中川智正

先日、こちらの記事を見て、

中野区の図書館に行きたくなりました。

 

news.yahoo.co.jp

 

前日には中野中央図書館に赴いた。受付でオウム事件の関連書籍は200冊を超えていることがわかり、

 

そんなにたくさんあるのか!

実際中央図書館(最寄りは中野駅)に行ったところ、多くは閉架でしたし、

千葉県民の私はカードを作れませんでした。

(ちなみに私は千代田区などのカードは持っています)

 

その中でとりあえずと思ったのが

消えたブログでも取り上げたこちらの本です。

加藤孝雄『今だから書けるオウム真理教附属医院ー元中野北保健所職員の証言』

 

 

オウム真理教附属医院に対する世間的なイメージは、

教団の秩序に反する信徒を薬物で処置するなど、オウム真理教犯罪の温床だと思います。確かに、ここでそういう処置があったことは確からしいです。

最も私は、事件当時のテレビ番組で見た通り、建物はおよそ病院とは思えない狭いビルにある、何か暗い場所だというイメージを持っています。今でもそれは変わりません。

f:id:boku2world:20220119164049p:plain

f:id:boku2world:20220119164112p:plain



ただ、こうした当時の証言を書籍にされた保健所の方の視点などから、

オウム真理教附属医院を見なおすことは大切だと思います。

 

著者は、中野北保健所の職員をされていた方です。

オウムが医院を開設してから廃院になるまでの手続き不備や、オウム事件がマスコミで報道され、厚生省(当時)のあいまいな指示に悩まされながら、その事務手続きをやり遂げられました。

 

まず医院開設は、1990(平成2)年6月1日。

そこにいきつくまで、オウム真理教の書類提出がずさん過ぎて苦労したそうです。

誰が代表者になるか。

これはオウム真理教について少し勉強したなら、麻原彰晃になるはずですが、

なぜか鍼灸師の信徒が代表者になったようです。教祖は嫌がったらしいです。

医師が自宅をクリニックにする手続きは簡単なのだそうです。それは

入院設備がない場合のみで、保健所に届け出すれば許可されます。

そして医師以外の者が医院をはじめるのも困難だし、営利目的かどうかも保健所は審査の対象にします。

代表者決定だけでオウム側がゴタゴタしていて、保健所側は「変な病院だ」と目をつけるようになりました。

その上、オウム側は入院用ベッドを置きたいといってきました。

そこでさらなる審査が発生し、通常のクリニック開業手続きより数か月もやりとりに時間がかかりました。

そうこうして、院長は「平田」ということに決まったようです。

保健所は厚生省の患者調査(利用者の傷病の実態調査し、地域ごとに統計をとる)の時にオウム真理教附属医院を対象医院にしたのですが、その時に院長「平田」としてでてきたのは誰だったか・・・。

f:id:boku2world:20220119170611j:plain

 

この人です。

どうみても「平田」さんではないですが・・・。

「平田さん」ではないと保健所職員がわかったのは、地下鉄サリン事件の捜査以降でした。このような写真をみて、初めて判明したそうです。

 

なりすましを平然とする。

社会人ならば、ここで名刺の一つでも渡すところが、ふつうになりすましで保健所職員と接触するところ。

保健所側は、オウムという集団を、

俗世間のことはどうでもよく、自分らの世界をつくり、その論理で生きていた」と見抜き、だからオウムに近づくと摩擦が生じる

考えたそうです。

 

このオウム真理教附属医院をマスコミが注目するようになってからは、

マスコミはオウム真理教附属医院の死者を調査しだしました。

20名の死者がでており、これは他のクリニックに比べて40倍の多さではあるけれど、

医療行為か犯罪かは今も判明していないとのことです。

オウム真理教附属医院で死亡したとして、必ず中野区に届をだすわけではないから。

 

これでまた中野北保健所はマスコミ対応に追われることとなります。

そんなある日、中川智正さんのお母様から中野北保健所に電話がありました。

お母様は弁護士から聞いたということで連絡をしてきたのですが、

「長男智正が犯罪を重ねて医師の名誉を傷つけたので医師免許を返上したい」との申し出でした。

 

何でも中川智正さんの本籍地が中野区にあったからです。

え?サティアンのあった上九一色村ではなくて?

オウムはそういうことは気にしない・・・。

中野北保健所では判断ができず、東京都の医務指導課に指示を仰いでも

「そんな前例はない」

とりあえず、本人署名・捺印ありの理由書と、医師免許の本証を郵送してもらうことと

なりました。

郵送してもらった理由書と医師免許は保健所の金庫に格納し、マスコミに漏れないよう最大限の努力を払いました。

こんどは厚生省は理由書と医師免許が本当に中川智正のものかを問題にしました。

それで21日放置したのです。

1995年7月25日、医道審議会に報告をあげて、それから厚生省→都の衛生局医療計画調査→中野北保健所と降りてきて、ようやく8月31日に医師免許返上(剥奪ではない)となりました。

 

その他オウム真理教附属医院に所属していた医師が9名中7名が逮捕されたということで

ようやく10月30日に廃止届を受け取り、中野北保健所はオウム真理教附属医院を廃院にできたというものです。

 

中野北保健所から見たオウムは、「単純」とのことです。

単純だからこそ、世間常識の線を平気で踏み越え何でもやってしまう恐ろしさ・・・。

オウム真理教附属医院を5年以上放置を許した社会にも反省すべき問題があるのではないか、と問題提起されていました。

 

オウム真理教附属医院。

ここで大学医学部卒の信徒が配置されて、研修医までしたらしい。

各種事件の時に、例えばサリン中毒になった新實智光さんを手当したりなど

なにかと問題のあった医院ですが、

「教団に違反行為した信徒を薬物で殺した」みたいなセンセーショナルな報道で何となく怖いイメージで見てしまうのですが、

私はそれ以上に、保健所の方の事務手続きを通してみたオウムの怖さ「単純」を知ることができたのと、

医師免許返上というのはこの当時前例のないものだったこと

医師免許さえ持っていればくいっぱぐれない、などとして医学部進学を希望する人たちが出るのも無理はないなあと改めて思いました。