僕は二つの世界に住んでいる

現代社会と科学の空白に迷い込んだ人物を辿るブログ。故人の墓碑銘となれば幸いです。

「サリンを、撒きました。」

この言葉は、林郁夫さんが警察に自首した時の言葉です。

そして、この言葉はドラマでも使われました。

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個人的には、平田満さん演ずる林郁夫さんの自首シーンが印象的で、姿は似ていないけれど、演技で林郁夫を表現されたと感じました。

なぜそう思ったかというと、林郁夫さんは、地下鉄サリン事件の実行犯でもあるけれど、地下鉄サリン事件の実行犯になる以前にサリン中毒になった新實智光さんの治療に当たったこともあり、教団がサリンを製造していることを知っているのと、他の教団関係の事件にも関与しているからです。

だから、あっさりとした感じで

サリンを、撒きました。」というセリフが出たのではないかと思うのです。

動画はこちらです。

youtu.be

 

林郁夫さんの自首後、オウム真理教捜査が進み、教祖以下弟子の逮捕につながりました。

今回は、林郁夫さんが、なぜ自白するに至ったのか、林郁夫さんとはどのような経歴が

あるのかを書いていきたいと思います。

ここは中川智正さんの墓碑銘のはずですが、敢えて林郁夫さんについて触れることで、

オウム真理教所属の医師」として一括りにされがちな二人の違いを明らかにしたいのです。

医師免許を持っていたことだけは共通していますが、オウムに入信したきっかけや医者としての経歴はまったく違うのです。

 

林郁夫さんは、無期懲役として服役することとなりますが、

その時に、自分の手記を獄中で執筆しています。文庫になったのは、教祖が死刑判決を受けた2004年ではあるが(ドラマ等もその前後に放送されている)、単行本となったのは1998年。他の被告がまだ裁判中の時期でした。

 

 

 

林郁夫さんは、1947(昭和22)年、東京の開業医の家庭に生まれました。

ただし、戦後の混乱期でもあったので、現在の一般的な開業医の家庭とは異なり、幼い林郁夫少年は、月末月初になると保険請求の書類に押印するなど事務仕事を手伝うなどして、実家の医院経営を手伝い、医者という職業を身近に感じていました。

中学受験をして、慶應義塾中等部に合格。高等学校に進み、その高等学校から慶應義塾大学医学部に進学しました。

慶應義塾大学医学部には、附属高校で良い成績を取り続けないと進学は難しいので有名です。やはり、というのか、慶應義塾大学医学部の内部進学コース

www.tomonokai.net

も存在しています。

成績が学年の上位三パーセントに入り続けていないと難しいらしいです。

林郁夫さんは、普通に医学部に進学できたようです。

手記にも特別なエピソードはありません。

医学部卒業時に専攻を選ぶにあたり、人体全体に関わることができる人の役に立てるからと、手術手技という、ある状況下では、習得しているか否かが救命に決定的な要素となる技術を身につけることができるからと、外科を選ばれたとのことです。

研修医としては、大学病院で1年、出張病院で2年研修し、後半の3年間は大学病院に戻って外科の中でさらに分野を選び研修、研究を行うというもので、林郁夫さんは、

すべて充実した日々として過ごしてこられたようです。

外科の新人出張ではどこでも同じですが、借りていたアパートにはほとんど帰れないような生活でした。勉強会や治療にも厳しいチェックが入る毎日でしたが、充実していました」

このあたり、たった1年半で研修医をギブアップした中川智正さんと一番違う点です。

以前、Twitter中川智正さんの後輩の方とお話しましたが、

中川さんは医学知識、技術が劣っていたので、林郁夫さんのような方に教わる機会がありましたでしょう?と言われました。

そうだったんだろうな、とは思ったものですが、そうではなくて

林郁夫さんは、中川智正さんも同じ医師だと思っていたのに、池田大作サリン襲撃事件の際(1993年12月18日)、サリン中毒になった新實智光を連れて中野のオウム真理教附属病院に連れてきて、同じ医師免許を持ちながら中川さんは自ら救急救命処置もなにも出来ないことを知ります。それで林郁夫さんが点滴やら人工呼吸器やらの出来る限りの治療処置をしたのです。この時に、中川智正さんから初めて、教団でサリンを使用していることを知ります。

新實智光さんの治療時は、林郁夫さんはサリン中毒者の治療について、サリンがどのように作用するか、パム(PAM)や硫酸アトロピン注射がどのように効くのかわからないまま、治療をしました。

 それと同時に、林郁夫さん自身も教祖や中川智正さんを通して、教団の暗部を見たものとして各種事犯に関与させられるきっかけとしているようです。

 こんなところを踏まえて、平田満さん演ずる「林郁夫」が役作りされたのかなと思います。地下鉄サリン事件の約2年以上前から教団ではサリンを扱いはじめていたので、あっさり「サリンを、撒きました。」というセリフを言わせたところなど。

 

以降、林郁夫さんは

 

1994年1月半ば以降 老女拉致の手伝い(睡眠剤を飲ませて第六サティアンまで運ぶ)

1994年2月  Y君(信徒)拉致未遂

1994年2月末 宮崎資産家拉致計画(井上嘉浩さんに言われて)

1994年3月  麻原から保険の不正請求をしろ、国から布施させろと指示される

1994年4月  中川智正からポリグラフ(ウソ発見器)を引き継がされる

1994年5月  滝本太郎弁護士サリン殺害未遂事件時のサリン実験に関与させられる

1994年12月までに ナルコ(記憶けし)の指示を受ける

1994年10月末 ニューナルコ(電気ショック)の指示を受ける

1995年2月28日 公証人役場事務長逮捕監禁致死事件

1995年3月20日 地下鉄サリン事件実行犯(千代田線)

 

教団の各種事犯に、医療技術を持っているものと教祖からみなされ関与させられたと

なります。

 

最後に、林郁夫さんはなぜオウム真理教に入信してしまったのでしょうか。

 

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これは2ちゃんねるの医師版にある「嫌なら辞めろ委員会」のスレッドです。

【幸福追求権】いやなら辞めろ【職業選択の自由】

 

外科の奴隷労働の末に、交通事故を起こして(轢き殺しはしていない)しまったのが

原因だと書かれています。

それ以前に阿含宗などで教えを求めていたこともありましたが、入信の引き金として

自分の過労をないがしろにしながら交通事故を起こして、判断力が低下してしまったらしいことが著書にも記されています。

医師の過労問題について取り組んでいる「嫌なら辞めろ委員会」が林郁夫の過労問題に

着目していたことはだと思います。

それだけ医師(特に勤務医)は過重労働になりがちであること、自分の仕事に自信をもっていた医者でも、過労によって判断力が落ちればオウム真理教のような団体に吸い寄せられる可能性もあるのではないかと当時から指摘していたのでした。

 

次のエントリーでは、林郁夫さんの著書から、オウム真理教の医療がどのように

変化していったかについて書いてみたいと思います。