「麻原尊師をどう思う?」
この言葉は、1996(平成8)年11月13日の中川智正公判において、
被告である中川智正さんが、証人出廷してきた共犯者・魚崎仁に
直接尋ねたものです。(「毎日新聞」1996年12月10日大阪朝刊)
魚崎仁は、灘高校から東大医学部を経て医師となり、その後オウム真理教に
出家した人物です。刑期を終えて出所しています。
なので、名前を調べればわかりますが、仮名にしています。
中川智正とは、滝本弁護士サリン襲撃未遂事件、新宿駅青酸ガス事件と都庁小包爆破事件で共犯の関係です。
この日の公判では、新宿駅青酸ガス事件と都庁小包爆破事件の頃の中川について尋問され、魚崎は
「八王子アジトにいた頃、中川は何かしていないと精神が崩壊する様子で
ひたすら爆薬づくりをしていた」と証言しました。
この日の裁判が終わる前に、突然被告の中川智正さんが
タイトルの言葉をそのまま魚崎に問いかけたのです。
(なお、教祖もこの1996-1997ぐらいまで不規則発言がすごくて、麻原劇場と称する
人たちがいました。
私はオウム真理教の裁判がどのようなものであったか知るために読んだ
青沼陽一郎氏「オウム裁判傍笑記」でたくさん笑いました・・・。
師匠の不規則発言もすごいが、弟子の中川さんの不規則発言ぶりも中々のようで・・・。証人出廷した魚崎もちょっと驚いたと思います。
魚崎はこのいきなりの被告人中川智正からの質問に何と答えたのでしょう。
「麻原氏を非常に敬愛し、ヨガの修行者としてレベルが高かったと今でも
思っている。しかし、彼が取った行動は人間社会から見たら許されない」
と答えました。
中川智正さんは、この魚崎の解答ににっこりほほ笑んで、魚崎に一礼をしました。
新聞記事には「(中川の)笑顔は何を意味していたのだろうか」
と書いてありそれで終わっています。
なぜこの時の中川さんがほほ笑んだのか。
おそらく、中川さんの言いたいことを魚崎仁が的確に言語化してくれたからだと思います。
中川さんが確定死刑囚になった後に、
「中川智正死刑囚の手記 当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」、『現代化学』548号(2016年11月号)で質問に答える形でこのように記しています。
<質問5>どうして高学歴の科学者がオウム真理教のような宗教に入り、
事件を起したのか
私個人でなく、教団の科学者一般の話を書きます。
第一に、そもそも科学と宗教とはまったく別のものです。
科学は検証可能な命題に対してある種の判断を与えるものです。
たとえば宇宙の起源とされるビックバンがどのように(How?)起こったかは
科学の対象ですが、なぜ(Why?)起こったかは科学の対象ではありません。
そこに神がいるとしても、いないとしても、科学とは矛盾しないと思います。
第二に、重大事件に関わった者が入信したのは、ごく一部の例外を除き1988年以前で、
当時の教団は殺人やサリン製造などとは無縁の宗教団体でした。
教祖の麻原氏は、そのような宗教団体を犯罪組織にしたという点で、
宗教家以前に犯罪者ですが、
ヨガや瞑想の指導者としての能力はきわめて高かったのです。
また麻原氏は、教団の外部に対してだけでなく、内部の大部分の者に対しても
「実際に殺人を行う(行っている)」とは言いませんでした。
私を含めて、教団が殺人を犯すなどと思って入信したものは皆無でした。
少し考えていただければわかりますが、このような事情がなければ、
いくら1990年代前半でも、
日本とロシアで数万人の信者が教団に入信するはずがありません。
ヨガや瞑想の部分で麻原氏に対して絶対的な信頼をおいてしまった者が、
私を含め、事件に関与したのです。
逆にいうと、
麻原氏は自分を深く信頼している者を選んで、
殺人や化学兵器の製造などを命じたのです。
率直にいって、麻原氏を単なる詐欺師であると書くことは簡単で世間の受けも良いのですが、事実は事実として述べないと質問にお答えする意味がないので、あえてこのような内容を書きました。
いかなる理由があろうとテロは許されない、とはしばしば言われます。これはその通りです。しかし、ある人物が危険な宗教やテロ組織に入ってしまう背景と後にテロを実行する背景は、多くの場合、違っているように思われ、両者は区別すべきではないでしょうか。
この辺りから考えていただくことが、今まであまりテロ対策につながるのではないかと思います。
この記事が書かれたあと、やはりというのか、新聞では
中川死刑囚が「麻原は宗教家以前に犯罪者」と非難のような言葉で
紹介記事を書いたのを見かけたことがあります。
私も、中川智正さんをブログのテーマにする以前なら、
かつてのオウム信徒がようやく「麻原は宗教者以前に犯罪者」だと気づけたと
ほっとして、それで終わりだったと思います。
それほどまで、オウム真理教は宗教以前の危険なテロ組織と考える方が
楽なのです。宗教面を見ない方が楽なのです。
そう、私も実は1996年当時、小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』を読んで
何となく、「オウムはテロ組織」と納得していました。
小林よしのり氏の視点は坂本弁護士一家失踪事件以後のプルシャの存在から見通していたので、とても分かりやすいものでした。
その上、小林よしのり氏もまたVXでオウム真理教から狙われたので、余計に氏のいうことが正しかったというのも変わりません。
しかしですが、オウム法廷において、教祖が不規則発言に終始し、かわって弟子が自分が入信した背景や関与した事件を、裁判官が要求する以上に詳細すぎるぐらい、死刑を覚悟して語ったことを知った今は、
中川智正さんが書いているように、
「ある人物が危険な宗教やテロ組織に入る背景と、実行犯になってしまう背景を区別して考えるべきだ」という面でオウム真理教を見ようとしています。
それでなければ、今も後継団体が存在し、事件前には日本とロシアで数万人の信徒がいた団体がどのようなものであるか、については分からないのではないかと思います。
最近はオウム真理教について、一年のうち二度、取り上げられる時期があります。
一つは地下鉄サリン事件のあった3月。
もう一つは、オウム真理教事件関連で死刑が執行された7月。
それ以外にはオウム真理教事件についてはほぼ取り上げられません。
逆に考えるなら、オウム真理教事件を地下鉄サリン事件から語ってしまうことで
かえって理解できないのではないか。
地下鉄サリン事件の頃の教団は内部崩壊が始まったころで、当初は神秘体験を信徒に導くような修行形態であったのに、薬物をつかうようになったり、ナルコやニューナルコなどの記憶消しも行われるようになりました。
今、オウム真理教の生き証人として動画やイベントに出てきている人は、実はそれほど
地下鉄サリン事件前後の教団状況を掌握できていたわけではないです。
ロシアから急遽帰国したから。
それでマスコミ対応をしていたため、今もその時の知識で、薬物の話などを出しているように見えます。
中川智正さんが確定死刑囚になる前に朝日新聞記者に言ったように
「事件の動機や背景が、少なくとも事件を知らない世代の方が分かるような形では、記録として残されていない」のです。
せいぜい、裁判傍聴の時の言葉ぐらいで、
それらは降幡賢一『オウム法廷』シリーズなどです。
私は、中川智正さんを初め、オウム法廷で登場する人たちを読んでいて、
みな入信の背景が異なっており、教祖との関係が異なるため
ここまでいろんな考えを持っていたのだと初めて気づいた次第です。
最後に、魚崎仁が逮捕された時、出身の灘高校の数学科教諭が、彼にメッセージを
出しています。それを掲載します。
(『サンデー毎日』1995,11,5より)
「刑事事件としてのオウムは僕は有罪であると確信しています」
「君達がオウムに自分の未来のすべてを預けた根拠を、君達自身の口からはっきりと
世の人に伝える必要があると思うのです。」
「君達のいうことが、たとえ世間では荒唐無稽と思われようと、心のたけを君たちが語ることの大切さを知っていて、真剣に耳を貸す人は必ずいると思います。」
灘高校の数学科の先生が言われた通り、なぜか成りゆき上、
私は、「荒唐無稽と思われても、心のたけをもっと知りたい」がため、
少ない資料を継ぎ合わせて、オウム真理教を知ろうとしています。
自分の少ない脳みそと頭を使って、何とか考えようと苦労しています。
『サンデー毎日』の記事で、灘高校の先生の記事が素晴らしかったので、掲載しました。その後に、「挫折を知らないエリート集団」とか色々ありましたが、それと
オウムを信仰したことにはあまり因果関係はないのではと今なら思います。
受験で培った学力や、医師免許をオウム真理教のために捧げてしまったのは事実だけれど・・・。
最後に、中川智正さんがなぜ入信したのか、事件に関与したのかについては
『現代化学』にさえも書けないレベルのものであったことです。
なので、「私個人ではなく」と断っています。
本当は中川さん自身のことをどこかで語ってほしかったけれど、この状況ではまだ難しいものがあるということを感じます。