僕は二つの世界に住んでいる

現代社会と科学の空白に迷い込んだ人物を辿るブログ。故人の墓碑銘となれば幸いです。

泣いてしまったのは、林(郁夫)さんがかわいそうだったから

このオウム法廷の中で、何度か公判に証人として出廷しあっている同じ医師免許を持つ者として一括りにされている感じもする中川智正さん、林郁夫さんですが

私個人は、林郁夫さんと中川智正さんは全然違うタイプだと考えています。

林郁夫さんは、まだ世間の考え方が出来る人。

中川智正さんは、世間に戻っていることは理解できているも、彼の身に起こる異常体験により一人で苦しんでいる状態だったのではないでしょうか。

 

林郁夫さんは、地下鉄サリン事件の実行犯であったことを自首し、
その後も自分の見た教団内部や共犯者について、積極的に公判で発言して
来ました。その姿は前回のエントリーで触れたように
「慟哭の法廷」と当時のマスコミが書いていました。

 

一方で中川智正さんも、逮捕直後の取調の様子では「あれは狂団ですね」
「私は死刑ですね」などと自分の犯した罪の重さを話しており、林郁夫さんと同じように積極的に証言したはずだ、と思い込んでいました。
(私の場合はブログでテーマにするまでは)
中川智正さんは、教団が事件で用いたサリンを製造したことや坂本事件での殺人行為
は認めたものの、詳細を語ることを拒んでいました。
その様子は、同じ共犯者として調書を読める立場である林郁夫さんにとっては
歯痒いものであったに違いありません。

林郁夫さんは、法廷で中川智正さんの印象について
尋ねられた時にこのように言っています。

「付属病院でも人に応じて、すごく分かりやすく、優しく話す。心のきいた人。
麻原の悪いところは分かっていても、そういうところを大事にしちゃう人
(外崎清隆被告第10回公判 林郁夫証人尋問 1997/3/21)

 


中川さんについては、
「麻原の悪いところは分かっている」と評しています。
信徒拉致事件の時に、中川さんが林さんに
麻原の指示について
「やれる可能性があるかどうかでなく、何でもすぐやらないとね。尊師は怖い人だから」
といっており、
その拉致事件の際、いっしょにいた井上嘉浩さんは、携帯電話を持ち、頻繁に
麻原から指示を受けていたことや、この拉致事件が麻原の思い通りに
いかなかったことを、中川さんらは「チャクラの汚れだ」と麻原から叱責をされた
のを聞かされ、林さんは自分には聞いたことがないような怖い叱られようがあると
感じたとのことでした。

私はチャクラの汚れというのがわからないので、そんなものかとしか思えない・・・。

それはともかく

林郁夫さんとすれば、もう麻原も逮捕されているし、皆も逮捕されているのだから
麻原のまやかしを法廷でいうことが一番の社会的反省でもあり義務でもあるのに
中川智正さんは、なぜそれをしないのだと歯痒く感じたに違いありません。

中川智正公判第21回(1997年10月30日)において出廷した林郁夫さんは

「私としては、やはりあなたから見ると私の言っていることは理屈のように
見えるかもしれないけれど、私から見れば中川さんのいうことも理屈だと思うんだよね。
中川さんの原点である坂本さんの事件(坂本弁護士一家殺害事件)が終わったときに、震えて、精神的におかしくなったその場面にしっかり立ち戻るべきだと思う
その前とか後とかは理屈に過ぎない。
あなたも申し訳ないという気持ちを表現しようとしているんだろうけど、
殺される時の坂本さん一家の気持ちとか、坂本さん家族がどう思っているか
縁につながる人がそれをどう思うだろうか、感ずるかということにも
もっともっと、もう一回、自分の気が狂うぐらいそこを突き詰めて考えて欲しいなと思う。

(中略)

例えばあなたも震えた時に麻原から抱きしめられたと言っているようだけど、
だれかに抱きしめてもらいたいような辛さがあるが、中川さんは自分自身が本来
持っているものから逃れようとしているのだと思う
私はあなたを責めているんじゃなくて、カルマというか、一番最初に気が狂いそうになった場面を考えたくないから、その方向に持って行っているんだと思う。
自分が自分の意に反した原点、殺したということ、その場面(相手の)声とか動作とか、しっかり思い出して向き合ってそこから行くべきだと思います。
麻原に関して、いまだにいろんな人を騙していることを怒っている
騙されたのは自分が間が抜けているわけだから、それを彼に押し付けるつもりはない。
私はまあ、犯罪者ではあるけれども。
中川さんも…(涙で言葉が途切れる)今でも大好きだし(眼鏡を証言台において
ハンカチで涙を拭う)
だから、私の法廷で証言してくれた時に、とても悲しく思ったのは、あれだけ、長い事いっしょにいたのに、何もお互いのことも分かっていなくて、本当は何もしゃべれない。
もっともっとお互いのことが分かってこんなことにならない場面もあったのではないかと悲しく思った。他の人もそうだが、そういう意味では憎らしいと言えば麻原が憎らしい。
オウムの…だってみんな本当にいい人なのに、麻原は自分一人の欲望のために、若い人たちの人生メチャメチャにして、なおかつそれを恥じないからそれを悔しいというか私は憎らしい。」

この林郁夫証言を聞いた中川さんも、ハンカチで目をぬぐったという

なぜ泣いてしまったのか・・・。
「読売新聞」1997年11月29日によると
関係者の談として、「あの時泣いてしまったのは、林さんがかわいそうだったから
と書いてあったのです。

この部分を知った時、何とも言えない、中川さんの闇を見た感じがしました。
その直前に藤田庄市氏の著書を読んで、

 

 


取調官から「何というか、中川は何かあるな」と言われたことがあったことなどを
思い浮かべながら、中川さんがなぜ証言できないのか、その一端を知ることが
出来たと思います。

この時より前、1996年12月17日の林郁夫第8回公判に出廷した中川さんが
林郁夫さんの弁護人から「林郁夫に対して言いたいことは」と言われた時に

「やはり林さんは、怒りを尊師に向けている。林さんは仏教をあきらめていないと
聞いた。そうであれば、その怒りの感情を静めて、なぜ自分自身がこうなったかを考えるエネルギーに役立ててもらいたい」と証言した時に、読売新聞の記者によると
声が震えていたとのことでした。

内容的には大きなものではないように、関係者でない私には思えます。
それなのに、なぜここで声が震えてしまうのかが、わからないのです。

なぜか中川さんは、他の被告の公判では証言を拒否しながら、
連続して林郁夫さんの裁判には出廷したようです。

中川智正さんが林郁夫さんの公判に出廷して、証言を拒否しながらも
宗教的なことを敢えて言おうとしていたところ、
その部分で震えていたのが見えたというところで、
ここも中川智正さんには他の人にはない「何か」があるのではないかと
思わせられるところです。

この時期、中川智正さんは麻原に「光が見える」とも証言しています(
(具体的な資料を探したが見当たらない。多分、1997年1月頃のオウム法廷あたり
の新聞記事ではないかと思います)。
中川智正さんとしては、逮捕されて引き戻された現世とまだ麻原に光が見えていた頃のオウムの世界をせわしなく行き来していたぐらい、自分を持て余してどうしたらよいのか分りかねていたのではないかと思います。

当時、麻原にマインド・コントロールされていたと申し出て、精神鑑定を希望する被告もある中で、中川智正さんはマインド・コントロールとは少し違う自分の状況を、どう示したらよいのかもがいていたのだろうと思うのです。