僕は二つの世界に住んでいる

現代社会と科学の空白に迷い込んだ人物を辿るブログ。故人の墓碑銘となれば幸いです。

中川さんはなぜオウム真理教に入信・出家したのか?

なぜ中川さんは、オウム真理教に入信・出家したのでしょうか。

中川智正 - Wikipedia

の該当部分を要約すると・・・

・ほんの興味本位でオウム真理教のヨガ道場を覗いたこと

・1988年1月に音楽コンサート「龍宮の宴」で教祖からいきなり声を掛けられた。

・「お前はこの瞬間のために生まれてきたんだ」という幻聴が聞こえた。

自宅でめい想中、光が体を突き抜け、この世では生きていけない気持ちになった。

と、書かれていることより、オウム真理教の信徒がよく語る神秘体験が原因だとされています。これだけだったのでしょうか。

 確かに、高校時代から阿含宗に出入りしていたなど、新興宗教を冷やかすのが趣味だったという話もある中川さんだけど、それ以上に学生生活をエンジョイし、

 文化祭が大好きで高校時代は皆が大学受験に向けて熱心になっているなかで、友達と仲良く学校に通い、深夜まで山車づくりに精をだし、まだ医大時代も、実行委員を率先して引き受けたりと、楽しいことが大好きな人でもあり、宗教の話ばかりに一直線にはまだなっていなかったのでした。

(この点は、高校時代からオウムにはまっていった井上嘉浩さんや、大学・大学院時代、教授まで勧誘するほどだった広瀬健一さんとは異なると思っています)

井上嘉浩さんに関する書籍はこちら

広瀬健一さんの著書はこちら

悔悟 オウム真理教元信徒・広瀬健一の手記

悔悟 オウム真理教元信徒・広瀬健一の手記

  • 作者:広瀬健一
  • 発売日: 2019/03/27
  • メディア: 単行本
 

 そのような中川さんが、なぜオウム真理教に入っていったのでしょうか。

神秘体験それだけだったのでしょうか。

ここの部分は本人もあまり語りたがっていないようですが、

私には、「医学部出たなら普通に医師になるものでしょう」という世間の声と、現実の自分は医師として仕事についていけていないことから発した身体・精神的疲労を受け止められられず、オウム真理教が怪しい宗教であることを知りつつも、そこ以外自分には行き場がないと絶望から出家したのではないでしょうか。

 

中川さんの入信・出家部分とオウム真理教の動きについて年表にしてみました。

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中川智正さんの入信・出家とオウム真理教

医大5年目の大学祭で実行委員長を任されたりしていた頃に教祖の著書を購入してはいるけど、特に読まず放置していたようですが、

中川さん自身がオウム真理教の道場に自分から近づき、入信に至るのは、

医師国家試験と卒業を控えたころです。

医学部は他の学部とは異なり、医師国家試験と卒業というハードルが非常に高く、勉強をし続けていないといくらでも挫折してしまうものだそうです。

そこでストレスをごまかして、何とか医師国家試験に合格をし、研修医となれたものの

その時点で中川さんは自分の身体・精神的疲労の原因を自分で受け止められず、限界状況を迎えてしまったのではないでしょうか。

それだけ医師になるということは精神力・体力・学力が必要である過酷な世界だったのでしょう・・・。その過酷な世界での事実上挫折を受け止められなかった・・・。

 

それにしても手術室で倒れて精神科にかかるぐらいに弱っているはずなのに、

その数か月後に殺人事件実行犯になってしまうとは・・・。

マインド・コントロール以前に恐ろしく感じました。

なお、中川さんは研修医という医者であり、現世においては関西医療業界でしか生きられないということはもっと知ってほしいと思います。

関西医療業界は、医者を酷使して、医者がどんどん心身を壊してしまう業界です。

そのようなブラック業界から「足を洗う」など、当時の中川さんには不可能だったと思います。

大阪鉄道病院で精一杯助けを求め、先輩や上司にも相談して、内密に精神科を受診もしています。

そこで状況を話そうとしても、中川さん自身の当時の勤務先でもある病院で弱い事を言えるでしょうか。

企業勤務者がうつ病になって、会社の産業医に相談するように言われるようなものです。

「休みなさい」と言われて休むだろうけど、ではどう復職するのか。

このあたりでどれだけたくさんの企業勤務者が躓いて、ある人は社会復帰も出来ない状態に陥っているか。

ましてや中川さんは勤務先が「産業医」でもあったのです。

それだけでパニックに陥ってしまうのは当然だろうと思います。

オウムに出家する当時の中川さんの状況だけでも、もっと共有されてほしいと思っています。

併せて、中川さんの後輩、@SecretaSecreto 氏のご活動に敬意を表し、そのTweetを掲げます。関西の医療業界がどれだけブラック業界であるかを、中川さんを通して知ってもらえるなら、それも一つのきっかけになると思います。

中川智正さん!関西の医療業界、とりわけ研修医の酷使について、地獄より見守ってくださいますよう!

 

 

 
 

 

 

  

【加筆】「現代化学」8月号、届きました!

元の記事はこちら

 

「現代化学」8月号。
予想以上に、Amazonなどでは入手が難しいらしいです。

 

 

増刷されているのか?
私が金曜日頃みたら、7月25日以降とか出ていたけど・・・。

それはやはり、#中川智正 効果でしょう。
化学専門の人たちだけではなく、私のような化学知識が全くと言ってない人間も
今回だけは買う、という人が多いのではないでしょうか。
しかしこの雑誌は、かつて #土谷正実 さんがサリンつくるヒントとなった雑誌でもあるぐらい
化学専門の方にとってはステータスのある雑誌なのかとも思います。

今回のエントリーでは、中川智正論文の内容ではなく、
この「現代化学」8月号の中で私なりに興味を持ったことを
書いてみたいと思います。

それは、「新刊書案内広告」です。

 

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「研究者としていきるとはどういうことか」

 

書物の目次に目が行ってしまいました。

「新しいアイディアと情熱・執念・努力」
「プレゼンテーションは就職活動」
「命をすり減らす感染と事故」
「君は行くのか、そんなにまでして」

すごく現実的な書物だと思いました。


新しいアイディアと情熱・「執念」・努力という部分は特に

教団武装化推進の中で、生物・化学兵器を開発していた人たちは

凄まじかったのだろうと思います。

特に、サリン製造の罪で断罪された、

遠藤誠一さん、中川智正さん、土谷正実さんの裁判が、散布役の理系大学院卒である

豊田亨さん、広瀬健一さんよりも判決が出たのが遅かったのも、かつての情熱、執念、努力の部分が、互いの好き嫌いの感情ともつれあって各々の弁護士・支援者を巻き込み

長引くこととなったのでしょう。

 サリン事件: 科学者の目でテロの真相に迫る』 2014 

 

 

Amazon書評の一つに面白いのがあったので掲載します。

 

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「10年早く生まれていたら、オウムに入って死刑判決だったよ、よかったね」と友達に言われた方のものです。

中川智正・元死刑囚を評して「この人はつくづく科学バカなんだなあ」という部分。

その通り、「ノウハウを日本が持つに至ったのは手前らのせいだろう!

中川智正さんが拘置所内でVXに関する論文を書いていることに、よい感情を持たない人もいたのだろうな・・・。

広瀬健一さんのように、犯罪を犯すに至った自分の内面を掘り下げて一著にするという

営みに比べ、「反省にはなってない!」と思った人も多かったと思います。

 

広瀬健一さんの遺著はこちら

 

 

おそらく広瀬健一さんのような姿勢を中川さんに対して、特に出家前から付き合いのあった人たちなど求めていたかもしれない・・・。

私も、一時は広瀬健一さんのような自分の内面を掘り下げることをなぜしないのだ?と思っていました。

よくよく、中川さんを調べていくと、中川さんが確定死刑囚である限り、

「死刑執行」という刑罰を受けるために精神の安定を保つことが必要で、

教団内のリンチ殺人事件や、坂本弁護士事件などのときの心情を掘り下げて一著にするというのは無理だったと思います。

 死刑執行までの時間を過ごすために、化学研究は中川さんの精神生活上なくてはならなかったのだろうと思います。

 

話を元に戻して

 

研究するってことは、自分の狂気、同僚の狂気との闘いもあり、
世俗的なプレゼン能力を持って就職活動をしなければならないし
そこまでして化学の道に入れるのか?君はという強烈なメッセージを感じました。

そのきっかけを作ってくれた、Amazonで「サリン事件」の書評を書かれた方にも
幸あれかしと祈ります。

続・狂気の科学

こちらの書物にも惹かれました。

Amazonではこちらになります。

 

 

続編なんですね・・・。
ということで、最初に出された「狂気の科学」

 

 

 


「なぜ高学歴がオウム真理教に入信するのか」の一つの答えらしきもの?も
こういう書物に接することで理解できるきっかけになるのかとも思いました。
多分、「カルト宗教に入らないように」と学校で一律に教育するよりも、
学生が自ら図書館などでこのような本に接する機会を設ける方が、
コスト的にも安いし、教師の負担も減ると思うのですが・・・。


最後に、「現代化学」8月号に掲載された他の執筆者の方々はすごく
ラッキーだと思います。

売り込みしなくても、いつも読まれないようなタイプの読者に研究成果に興味をもってもらう
きっかけにもなるのだから。

こういう運も大切なんでしょうね。研究者として生きていくためには。

中川さんの第一印象とそのギャップ

私が中川さんの写真の中で初めてみたものが、こちらでした。

 

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いつの頃の写真か分かりませんが、研修医時代ではなく、オウム真理教に出家後で

1989年から1990年頃かと思います。

 

この写真を見て、私はこの人に似てる!と思いました。

 

 

 

彼は当時40代後半だったように思います。

中川さんの晩年のイラストがありますが・・・

実は拘置所内で生活していたので肥満度が増したかもしれないけど

老けてはいなかったのではないかと思っています。

 「長く拘置所内で生活している人物には社会の一般常識に欠ける傾向がある」と

聞いたこともありますが、

私は、そうだろうなとも思いつつ、中川さんに似ているこの人は、東大ぐらいの大学を出られて、オウム真理教には入信することもなく、大企業勤務の立派な社会人だけど、コドモだなーーと会見を見ていて思ったことが何回もありますので、

一つの場所に長くいすぎると、人間は適応しすぎてしまうのか?と思うようになりました。

 

参考動画:【3/15・17:30開始】東京電力 記者会見

見られる方は、1:36:50以降から見てみてください。

メイン会見者なのに、記者席の方につっかかってしまった・・・。

 

それはさておき・・・。

 

中川さんは教団の「マインド・コントロール」の影響下で殺人など各種犯罪を犯してしまったのだろうと思っていました。

しかし、どうも調べていくうちに、そうではないなと思うようになりました。

もっと別の角度で見ないといけないな・・・と思いました。

とても難しい人物だと改めて感じています。

【加筆】【中川智正も拘置所で読んだ】アンソニー・トゥ著『毒蛇の博物誌』

元記事は、こちら

 

私は、アンソニー・トゥ博士が毒ヘビの研究者であることは中川智正関連で
初めて知りました。
もともとはトゥ博士は、海ヘビとガラガラ蛇の研究者だったということです。

中川智正さんは、アンソニー・トゥ博士と初めて面会したあとに
さっそく拘置所の中から、こちらの本を
取り寄せて読まれています。

 

 

 

中川智正さん早速読書の感想をアンソニー・トゥ先生に送っています。

出典はこちら

 

 

「毒蛇の博物誌」古本を入手して読みました。
Tu先生ではないと書けない御自身の体験が書いてあって非常に面白かったです。
私は蛇は好きではありませんけど
蛇のことを本で読むのは好きです。
海蛇などの海のハチュウ類は、どれぐらい潜れるのだろうというのは
前から思っておりました。
3時間以上ということが分かって良かったです。
肺の一つが大きくなっているとのことですが、
酸素のため以外に、浮き袋の役割も大きくなった肺がしているのではないかと
思いました。
水中の生物は浮力を得るためにさまざまな適応をしていると聞いたことがあります。
それらから、釈迦に説法ですが、最近ではヤマカガシにも毒腺があるということに
なっているそうですね。
毒の強さはハブの10倍と聞きました。
めったに毒は注入されないけれど、注入された場合の死亡率は10%とか。
2004年の段階で、3例の死亡と30例の重症例の報告があるとのことでした。
(「内科学第9版」2007年 朝倉書店)
改めて調べて少し驚きました。 

 中川さん自身も教団のインド巡礼時には、医療役としてコブラの毒を調べていたようですね。

「ジャム・セッション」第8号(2015年12月28日発行)ではこのように書いています。

修行として山の頂上で瞑想しつつ一夜を明かすと聞いた時には、毒蛇のことなどを調べました。インドにはよく知られているようにコブラがいます。

いくら分かっていても蛇毒に対する抗血清はその毒蛇が生きている国でないと入手できないのが普通です。

予想通り日本では手に入りませんでした。

万一噛まれたら現地の大きな病院に連れて行くしかないと考えて、事前に大学病院を探しておきました。

 インド巡礼時の動画は、当時の動画と、麻原法廷物語の一部にありますので、

こちらに掲載します。

 

 

何回かインドで巡礼をしているようですが、

経行(きんひん)は素足なので、もし毒蛇に遭遇したら大変だったろうけれど、

ここでは教祖のアキレス腱が切れた(けど歩けた)で済んだので

中川さんはほっとしたことでしょう。

 

さて、話をアンソニー・トゥ先生の毒蛇本に戻しまして・・・

 

このアンソニー・トゥ博士は、海へびをどのように研究してきたのでしょう。

直接、フィリピンの「ガト島」に、雇ったフィリピン人の漁夫10人と助手とともに
小さなモーター船で行ってしまうとか。
もう、勇者としかいいようがないです。

「水は透き通って汚染がなく、2、30メートルの深さでも海底が透き通って見え
すごくきれいである。船が島に近づくと、体長2メートルくらいのすごく大きい海蛇
エラブウナギが船の横の水面にニューと首を出し、
お前たちは何をしにきたのだと言わんばかりである。
カメラを取り出して写真を撮ろうとすると
さっと碧い海の中に消えてしまう。
その動作の敏捷なること、とても写真をとるどころではない。
水が非常に透き通っているので、何匹の海蛇が海中で乱舞しているのがよく見える」

 

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アンソニー・トゥ博士『毒蛇の博物誌』掲載の写真より)

「ガト島は周りが絶壁なので、
船を横づけて縄を外側に飛び出した岩に巻きつける。

付近の海に海蛇が十数匹もたむろして、水面から首を
あるものは10センチ、あるものは20センチくらい突き出して
ヒューヒューと呼吸する音が聞こえる。

助手のポールに、ほら穴の中に入って写真と映画を撮影しようというと
「私は怖いですから先生の後についていきます」という。

だらしのない奴だと腹が立つが、戦場で突撃の時は
指揮官が率先して先に行くのはこのことかと思ったりする。

それについて、この間アメリ海軍省を訪ねた時の話を思い出す。
ベトナムで米軍の兵隊たちが浜辺に上陸しようとした時のことである。
舟艇の指揮官が皆降りて水の中を歩いて上陸しろと命じた。
船のまわりに海蛇がたくさん泳ぎ回っているので、さすが勇猛なG・Iでも
誰も水の中に飛び降りない。
上官が先に降りるなら皆後にくっついていくという。
泳いでいる海蛇を見ると、命令を下した上官もしり込みして
とうとう上陸はとりやめになった、と海軍省の方が
笑いながら話してくれたことがある。

島に上陸したアンソニー・トゥ博士とその一行は、
たった二時間で
八〇〇匹の海蛇を捕まえ、船に満載して漁村に帰ろうとしたら、
数匹が袋から抜け出して船の中をはいまわり、
実は怖くて身動きできなかった・・・・とか。

フィリピンのガト島ってどのへんだろう?

よくわからなかった・・・。
セブ島の近くなのかしら?

だとしたら、大東亜戦争の時、陸軍の第102師団がいたあたり?
海軍の人たちはどの程度しっていたのだろう。

そもそも日本は、フィリピンを攻略しながら、
フィリピンの島について理解がなかったのだから。

山下奉文大将が第14方面軍司令官としてフィリピンに赴任するときに
大本営との打ち合わせで「比島には、島がいくつあるのか?」と質問を
しています。
山下さんとしては、比島には6000以上の島々があるので
通信のやり取りなどどうするの?と聞きたかったのだけど。
大本営にうまくはぐらかされてしまったのでした。

山下奉文大将に見込まれて、スマトラの近衛第二師団長から
第14方面軍参謀長として赴任した武藤章中将は最初の参謀からの報告をうけて
レイテ島ってどこ?」というぐらいの認識でした。

大東亜戦争当時、ウミヘビにやられた将兵もいたかもしれませんが・・・。
その情報がわからないので知っている方教えてください。

アメリ海軍省の方が、ウミヘビ研究できるだけの環境やゆとりが
あったのだろうと、悔しいけど思います。

アンソニー・トゥ博士のこの本は
小さい本ながら、蛇嫌いな人でも楽しめる蛇の話がいっぱいあります。

例えば、アメリカ南部のある州では
閉店後の泥棒を防ぐために、ガラガラヘビをガードマンとして
使っているところがあるという話。
「この店はガラガラヘビによってパトロールされています」という警告があるのだとか。
その看板はあるのか?
今のところは私は見つけられていません。
あったら教えてください!

アンソニー・トゥ博士のヘビへの愛情は大変深いです。
ガラガラヘビがハイウェイでとぐろを巻いているのをみて
ガラガラヘビよ、君にも幸あれ!」と心の中で祈って通り過ぎるのだとか。
アンソニー・トゥ博士は、毒ヘビ愛玩者の中でもよく知られているのだとか。
愛玩している毒ヘビにかまれたとき、飼い主から相談を受けたことがあったとか。

 

 

中川さんとの出会い

私個人の話です。

オウム事件当時、私はオウム真理教をどう思っていたのか。

中川さんをその頃から知っていたのか。

 

私個人は、まだ学生でした。

都内に通学していたけれど、東京メトロ営団地下鉄)を使っていなかったため、事件に巻き込まれないで済みました。

その後のオウム事件関係の報道は毎日テレビで面白がって見ていました。

しかも、「オウム事件完全濃縮マニュアル」なるものを座右において

他人事として、とにかく面白がって見ていました。

 

 

逮捕された信者のホーリーネームと、学歴を確認しながら

「何であんなおかしな教祖に付き従ってしまったんだろう」と思っており、

自分には全く関係ないという見方をしていました。

だから、「彰晃マーチ」も笑いながら口真似していました。

 

教祖が逮捕され、逮捕された信者が供述していくようになりつつあったある日

このような新聞記事をたまたま目にしました。

 

オウム・中川被告が極刑覚悟と供述 母校全部に名前の削除申し入れ

朝日新聞 1995年9月20日朝刊)

 

地下鉄サリン、松本サリン坂本弁護士一家殺害など一連のオウム真理教幹部による凶悪事件のほとんどに加わったとみられる元教団「法皇内庁」トップ中川智正被告(32)が、「極刑も覚悟している」などと、警視庁など捜査当局の調べに供述していることが19日、わかった。

教団に脱会届を出し、医師資格も返上した中川被告は、幼稚園から大学までの母校すべてに対し、卒業生名簿から自分の名前を削除するよう申し入れている。

 10月24日から始まる後半の結果、「極刑も覚悟している」と死刑を含めた重い刑罰を言い渡されることも自分に言い聞かせているという。

 逮捕後、長かった髪を刈り上げた中川被告は、教団に脱会届を出した。また8月22日には自ら申請した医師資格抹消が認められている。

 また、中川被告は自分の在籍したすべての学校に、卒業生名簿から自分の名前を削るよう求めている。地元岡山市内の幼稚園、小、中学校、県立高校と京都府医大に対し、両親を通じて「事件で迷惑をかけたので卒業生名簿から名前を削除してほしい」との手紙を送った。

幼稚園と大学からは「検討する」という返答が寄せられている。

 中川被告が1988年に卒業した京都府医大の栗山欣弥学長は

「入学、卒業歴、成績などの学籍自体は消しようがないが、私個人の意見としては、医師として問題外の行為であり、同窓会名簿から名前を抜くことになると思う。ただ一存では決められないので、いま大学理事会で審議してもらっている」と話している。

 

私はこの記事を読んで、「随分極端なことする人だな」と思いました。

また、私はこの人のことを「法皇官房」のこの人のことだと思い込んでしまいました。

 

芦川君

芦川君

全く別人であったのでした。

私が中川さんのホーリーネームを知ったのは、死刑執行後のことでした。

 

中川さんがなぜこの時に脱会届を出したのか?

なぜ自分の名前を卒業生名簿から削除することを依頼したのか?

全く考えることもありませんでした。

 

その後、私自身はオウム報道の熱狂がひいていくのと同時期に、挫折し続けていました。限界状況を迎えていたのでした。

オウム真理教関連裁判に関する記事もあまり真剣に読まなくなり

いつしか忘れていたのでした。

 

そんなある日

 

オウム死刑囚が獄中からVX論文を発表というニュースを、

blog.goo.ne.jp

で読みました。

オウム真理教の死刑囚は獄中までも勉強を続け、広島拘置所で論文をものにするなんて凄すぎる!と思いました。

私など、すっかり社会の底辺で辛うじて働いているうちに勉強することさえもしなくなっているのに・・・。

研究成果が役に立つだろうから、この人は死刑執行されないで、ずっと研究させていれば役にたつんじゃないか?と思っていました。

その一月後にまさか執行されてしまうとは・・・。

そして、「中川智正」という人物を死刑執行後、生前には何も接点もない私が

支援者でもなんでもない私が、ここまで追うことになろうとは・・・。

 

 

2018/7/6

2018/7/6

派遣先の大企業で、仕事を始めようとしていたその時

中川智正死刑囚に死刑執行」
と自分のスマホに通知が入ってきて

表面上は平静であったはずですが
ものすごくショックを受けました。

中川さんについては、5月にVXに関する英語論文が形になった報道があり、
毒物の研究についても死刑囚ながら成果を出してくれる貴重な人だと思っていたから。

中川さんのように、死刑囚でも自分の研究を形に出来る人がいる・・・。

それに比べて、研究者になろうとして、挫折。

その後も挫折続き、

逃げの人生を続けて、
辛うじて、生きる手段が
事務職の派遣社員しかない私からみたら
「うらやましい」の一言でした。

 私は今日も派遣社員、しかも大企業の請負という立場で、人間であっても、消耗品扱いされることにも慣れてきつつもあります。
 かつての自分を封印し、会社の文化に自分を合わせて大人しくするしか生きられない
という諦めの気持ちです。

そんな私が先にあの世にいけたらよいのに。
それなのに、なぜ死刑囚になってもVX論文を物にするほどの頭脳を持った人が
死刑執行されてしまったのか。
あまりにも残念過ぎると思いました。

私がそんなことを頭で考えながら、ちんたらと自分に与えられた仕事をしている時
勤務先の社員様たちは「麻原執行されたってよ」の一言ぐらいで
気にも留めていないようでした。

私はそこの職場がゆったりしていることもあって、
一日中、死刑になったオウム真理教元幹部たちを、特に中川さんを考えてばかりでした。

中川智正さんとはどのような人だったのか。
オウム真理教にどうして出家したのか
どのような事件に関与した方だったのか
逮捕後の拘置所ではどのような生活を送っていたのか

死刑執行されるまで、まったくどのような人だったのかも知らないまま
なぜかその人のことばかり考えてしまっていました。
とりあえず、中川さんに関する本としては、
アンソニー・トゥ博士との本しかないように思い、
それでも何か読んでみたいと思い、数回ブログネタにでもしようと思い
この本を購入しました。