もともとこちらのブログは、大東亜戦争停戦後の昭和受難者に関することを調べて
備忘録としていたものでした。
そのブログに突如としてオウム死刑囚に関するエントリーが増えてしまいました。
ポツダム宣言受諾後の国際軍事裁判にて処刑された軍人と、我が国国内にて起きた宗教テロ犯罪の死刑囚を「同居」させ続けるのは問題があるのではないでしょうか。
昭和受難者は、国外において同胞の知らざる状況下に置かれて事後法で裁かれて、処刑されたのに対し、
生きた時間の長さや時代背景の違い、置かれた立場など全く異なるものではないか・・・と思い
何となく「軍人」関係の記事を書きづらくなってしまい
また、中川さん関連も行き詰まりを感じてしまったのでした。
そこで、ブログを新たに分けることとしました。
ブログのタイトル「僕は二つの世界に住んでいる」は
「毎日新聞」1996(平成8)年7月9日東京夕刊に掲載された記事中より
この日の裁判で、VX事件の審理に入ったのですが
教祖の関与については語ろうともしないことが記された後で、
中川さんが自身の関係者に語った話として
「僕は二つの世界に住んでいる。
一つは、この世界。もう一つはオウムの世界。
どちらも僕にとっては現実の世界なんだ」
とあったところからタイトルに選びました。
中川さんは、死刑執行されるまで、現実として「二つの世界に住み続けた」人なのだということを知り、
「二つの世界に住む」とはどのようなことだったのか。
私の周囲の世界とはまったく異質ではあるけど、そこに何がしかの共通点はあるのか、それとも異なるのか・・・。
今も考え続けています。
私は、以前解離性障害を持っていた人と仕事上で数名関わったことがありますが、
まず、私が未熟であるため、人間関係を築けませんでした。
同僚の人たちは、私よりその知識や理解も、接し方も上手かったです。
そんな当時の苦手意識を思い出させるものでした。
私は、その職場で適応障害を発症(実際はもっと前からそうだったと思うけれど、
心療内科に通院するようになったのはこの職場のときでした)し、
自分自身が心身に爆弾を抱えながら、その人たちに接するのは困難でした。
言葉とか距離感とかを指南した本を読んで真似ても、上手くいくはずもないし、
そもそも、ウマく乗り切るというだけでは誤魔化しに過ぎないのではとも思っていました。
精神障害を抱えながら生きている人同士が共存することの困難さもまた
自分自身も精神障害者の一人として痛感しながら
それでも自分とは違う障害を持つ人がどのような状況だったのか
改めて学ばせていただきたいと思います。
そのためには、「軍人の道は一本道」にこれまで同居させていた
中川さんやオウム真理教関係記事を独立したブログに記して、
「軍人の道は一本道」ブログは従来どおり、昭和の陸軍軍人たちの姿を記す内容に
戻します。
こちらもどうかよろしくお願いします。
なお、「軍人の道は一本道」にエントリーした記事のうち
改訂したものをこちらに再掲載する予定です。