僕は二つの世界に住んでいる

現代社会と科学の空白に迷い込んだ人物を辿るブログ。故人の墓碑銘となれば幸いです。

献花めぐり@2021

さて、今年も地下鉄サリン事件の日に

献花めぐりをします。

 

お花💐はこんな感じで、日比谷花壇・アトレ恵比寿店さんで作っていただきました。

 

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数日前に来店予約をして行きました。

こちらの花屋さん、美容室に行ったような気持ちにさせてくれました。

(駅中のお花屋さんなんですが、カウンセリングが素晴らしかったです‼️)

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花束のイメージを伝えるときに、昨年の写真(だから今朝ブログをアップした)をみせたら

私のブログに興味を持ってくださり、昨年とは違うものを丁寧に作ってくださいました。

感謝です。

(花束💐がつくられていく途中)

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日比谷線の恵比寿駅から乗りまして、まずは

神谷町に向かいます。

神谷町駅の目黒方面ホーム上の駅務室にて献花。

次は霞が関に向かいます。

霞が関駅は千代田線と日比谷線の間にある駅務室に向かいます。

途中にこのプレートがありました。

献花に行く途中、男性がこのプレートの写真を撮っていたのは、駅務室の雰囲気が物々しかったからに違いありません。

 

駅務室前に喪服男性が立ち、一礼して献花しました。

献花に訪れるひとが一番多い駅なのでしょう。

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次は丸ノ内線に乗って、中野坂上駅に向かいます。

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中野坂上駅へは丸ノ内線で10駅です。

結構時間かかります。

昨年、どこに駅務室があるか迷いました。

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プラットホームからこの幅の狭い階段を降りて

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左に曲がり、改札を出るとと駅務室が見えます。

なお、献花の撮影は禁止の張り紙がありました。ギリギリの撮影です。

中野坂上駅のあとはまた、日比谷線に乗り換えるため、霞が関駅に向かいます。

霞が関駅で日比谷線に再度乗り換え、今度は一番死者が出た小伝馬町駅に向かいました。

日比谷線担当実行犯が、小伝馬町の前の秋葉原駅サリンの袋を傘の先でついたためです。

この駅は中目黒方面の改札出たところに駅務室があるので、急な階段を降り、配管をみながらまた階段を登るしかありません。

もはや迷路です。

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階段のぼって

 

改札を出たところに駅務室があります。

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小伝馬町駅ではサリンの袋が、乗客によって蹴り出されたためさらに被害が拡大しました。

それでも地下鉄は運行し続けたため、さらに八丁堀駅でパニックに陥りました。

八丁堀駅で献花と記帳をしたときに、

www.rsc.or.jp

の方々も献花に訪れていたのを知りました。

 

地下鉄サリン事件による後遺症に苦しむ方々を支援するNPO法人です。

知られてないですが、今もなおサリン事件時の後遺症ではないかと訪れる人がいます。

被害された方の中には当時は若くて体力あるためか、だるさや目の痛さにより就業に支障を来たし、当時から多くなってきた働き方・派遣社員だった方などは、本人の勤怠不良によるとして契約を切られてしまうひとがいました。

私も派遣社員なので、当時、サリン中毒による体調不良などで派遣の契約を自己責任として切られた方の話は、他人事ではないです。

被害者は国の支援も不十分なまま、NPO法人の存在に気づかなければ(それでも足りないけれど)切り捨てられてしまうのです。

自分が被害に遭わなければわからないけど、

被害に遭遇した場合は自分の責任とされてしまう。世間や会社は地下鉄サリン事件の存在を承知してはいても、やはり自己責任なのだなと感じました。

サリン事件後電車に乗れないなどの気持ちに寄り添えないのだなと。

小伝馬町から築地までのウォーキングで(バスを並走させ、参加者の体調不良などにそなえる)献花をすることもしているのを知っていたので、名前を見つけて、なんだかほっとしました。

最後は築地で献花をしました。

今年もなんとか献花ができました。

 

さらに、当時現地対策本部となった築地本願寺にもお参りしました。

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最後は聖路加国際病院に行きました。

チャペルの中には入れませんでしたが。

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当時、聖路加国際病院の院長であった

日野原重明氏は、

外来停止し、サリンの被害者をチャペルまで受け入れる決断をされました。

詳しくは

www.igaku-shoin.co.jp

 

日野原重明先生の桜はきれいでした。

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