しばらく林郁夫先生関係のエントリーが続きます。
それは、林郁夫『オウムと私』という著書があるからです。
この本は、林郁夫さんが無期懲役囚として千葉刑務所で書かれた
書物です。
オウム真理教の医療行為と言えば、私個人の当時の報道から抱いたイメージとして
戒律破りの信徒に麻薬を注射しておかしくしたとか(その一部は死亡したが、
遺体は教団内で処分されているからどれぐらいの被害があったかわからない)
高額なお布施と引き換えに薬物イニシエーションを施したなどというものしか
ありません。
これは事件当時、テレビ番組で毎日どこかの局が、重々しい音楽とともに
放送していて、その内容がいかにオウム真理教の狂いっぷりを表現できているか
を競っていたのが一つの原因かと思います。
先日出所されて、著書を出版された富田隆氏(松本サリン事件実行犯)は
逮捕される直前まで日本テレビに協力していたのですが、
そこにはたくさんの憶測や妄想が毎日のように何物かによって流れ込んできていたとのことでした。
富田氏は端本悟さんの手引きで、当時愛していた女性とともに逃亡した人です。
富田氏がそのような経験を持つことも、教団に関する情報の取捨選択の手伝いを
していたこともこの書籍によって知りました。
例えば、麻原が女性信徒と性的関係を持っていた(事実)があると、
次々と「教団関係者」と称する詐話師が登場して、話に尾ひれをつけて、
最初に出た話よりもむごい内容として語り番組化されます。
そのようにして作られた二時間ぐらいの番組を
当時の私のような視聴者は怖いもの見たさで楽しんでいたのでした。
その中には本当の事もあれば、嘘ももあったのでした。
元信徒の中にも、中々癖のある人物がいたようです。
様々な背景を持ちながら救いを求めて入信・出家してきた信徒を
一つの方向に纏めるのは、麻原自身も実はかなり無理がきていたようです。
麻原が絶対である教団なのに?
基本的にはグルが第一であることは変わらない教団ではあるけれど、教団内での生活やワークから信徒の麻原彰晃への見方は1994年ぐらいから変わってもいったようです。
このあたり
ブログの記事にするにあたり、本を読んだりして新たに発見することばかりで
その取捨選択に時間がかかっています。
前置きが長くなりましたが、
今回のエントリーでは、林郁夫『オウムと私』より読み取れる
オウム真理教の医療がどんなものだったのか
そして、1994年以降に林郁夫さんに対してイニシエーションの指示を出したのは
誰であったかを見ていきます。
まず、オウム真理教の医療について
「AHI」(アストラル・ホスピタル・インスティテュート)と呼ばれていました。
場所は、中野区の野方駅近くです。
この病院については、以前こちらにも書きましたが、
信用度は一般社会の人にはなかったけれど、
林郁夫さんによると信徒内では信頼度が絶大だったようです。
ここの病院のトップは中川智正さんですが、
彼は野方に来ることは少なく、富士山総本部で特別なワークをしていたらしいです。
たまに来たときには、林郁夫さんたち医師や看護師に、研究テーマを与えたりする
ぐらいでした。そのテーマが「サバイバル医療」。
林郁夫さんはそこまでピンとは来なかったように思えますが、
中川さんは教団武装化の動きをよく承知していたから、「尊師の指示のまま」
そのテーマをAHIに与えていたのでしょう。
AHIでは麻原の意向により、手術は
「ナーディ(エネルギーの通り道)」を傷つけるから良くないとされ、
麻原のマントラ修法した塩や、甘露水で湿布という常識がまかり通っており、
ある幼児はついに耳鼻科の手術を受けるまで悪化させてしまい、
外部の病院から「どんな治療をしているのか」と林郁夫さんが言われてしまったことも
あったとのことでした。
かつては心臓外科医として高い評価を受けていた林郁夫先生のプライドが傷つけられましたが
それをも自分の修行だと思い込んでいたのでした。
オウム事件時に報道で騒がれてもいた「温熱療法」についても林郁夫さんは触れています。
林郁夫さんが地道に麻原に働きかけたことで、AHIにもICU並みの機器を備えることに
成功しました。
平成五年(1993)年以降は、転移性肺がんの内視鏡手術や子宮頸がん末期の手術にも
成功し、入院は西洋医学では手の施しようのない末期がんの患者が信徒以外でも
訪ねてくることがあったようです。
彼らにたいして、浄化法、瞑想法、ヨーガや漢方薬、そして「温熱療法」を施して効果をあげていました。
温熱療法は、自分で体温を上昇させてエネルギーを循環させるヨーガの「トゥモ」という行法を利用し、薬もだめ、手術もだめな患者さんに、通信販売されているサウナスーツを使って始めたもので、のちにお風呂方式に切り替えるなど試行錯誤し、
林郁夫さんは、患者さんの新陳代謝が活発になっていったと手応えを感じたということです。
その成功に目を付けたのが麻原で、
麻原はこの温熱療法をイニシエーションとして信徒に伝授したし、
それこそ事件当時の報道のように「50度の温熱がんばるぞ」とテープにまで吹き込んでやらせるようになったのです。
治療ではなく、修行の一つにかわったため、出家信徒が皆各自の修行法として取り入れるようになってしまうことを林郁夫さんは医学の観点から危惧していました。
ではなぜ麻原は温熱療法の成功をイニシエーションとして伝授したがったのか。
それは教団の運営資金がいつも足りなかったからでした。
教団は武装化の準備の一方で、出家信徒を多数抱えていたから、
教団は経営面でも危機に直面していたのでした。
それでも武装化はやめられなかったのが、不幸なことでした。
平成六(1994)年以降、信徒統括のために、芦川順一(東大理三から医学部中退)と、
柏原由則(元弁護士)らによって、思考操作の基本的材料として
「決意Ⅰ~Ⅳ」などが作られていきます。
これは信徒を一括管理するためもありましたが、富田隆氏の著書にもあるように
オウムのワークは出来るものの、神秘体験ができない芦川の教団内でのステージを上げるためとも言われています。
林郁夫さんは、1993年末の池田大作サリン襲撃事件でサリン中毒にかかった
新實智光さんの治療にあたってから、教団のシークレットワークに関わらされるように
なります。
中川さんが、医師であるにも関わらず、救急救命措置ができる技量がなかったために。
林郁夫さんは、オウム真理教に出家してから池田大作サリン襲撃事件までは
教団内の医師としても成果を上げていたことに気づかされました。
その医師の技量を見込まれてしまったことは不幸だと思います。
林郁夫さんはこういいたかったでしょう。
「中川智正がきちんとした医療技術を持っていれば、自分は教団の犯罪に加担しなくてよかったのに」と。
その後、麻原を通して中川の指示でやらされたのが、拉致事件への関与でした。
それの最大なものが、公証役場事務長拉致監禁致死事件でした。
信徒の拉致から、信徒を匿ったものを拉致するようになるなど、教団外にも悪影響を及ぼすようになります。
そして、省庁制の成立後(平成6年6月)後、治療省のトップとなった林郁夫さんですが、
法皇官房の指示も受けた、LSDや覚醒剤をつかったイニシエーションの医学管理もさせられるようになります。
麻原→法皇官房→治療省のルートで指示が降りてくるようになりました。。
オウムの中では、医者のキャリアよりも、「麻原に近いもの」が大切らしいです。
ただ、林郁夫さんは自身の逮捕後しばらくは、法皇官房の名称を知らなかったため、
本当は「バルドーの悟りのイニシエーション」(記憶チェック)やLSDや覚醒剤をつかった
イニシエーションを含め治療省の主導と裁判でもされてしまったことを悔やんでいます。
これは悔やんでも悔やみきれないでしょうと思うし、
現在でも世間で誤解されている部分だとも思います。
法皇官房実質トップ・芦川順一は逮捕後ほどなく釈放されており、
裁判にかけられなかったし、
元弁護士も現在は刑期を終えて、ゆとりある生活を送っているようです。
彼らは薬物を使用して、人間の脳を変える行為をしたことをどう思っているのでしょうか。
何も今になっても聞こえてくることはありません。
裁判にならなかったから。
元弁護士は裁判にはなったものの、この薬物の件では立件されていません。
薬物事件は、事件の番組では取り上げられていたわりに、
結局裁判ではスピード化のもとに、「三大事件(坂本弁護士殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件)」以外
とされて取り下げられています。
それで、元医師であった林郁夫さんの主導であるかのイメージは、裁判も中途半端であったために
かなり中途半端に世間に残り続けているので、残念に思います。
オウム事件においては、裁判がもっと薬物にも焦点が当てられて、どのようなルートで
イニシエーションが行われ、信徒の管理をしようとしたかを明らかにしていれば
オウム真理教における洗脳の実態だって明らかになったと思うのです。
私は洗脳の実態については、この文章書くだけでも、どうしてもまとまらなくて
苦しみました。
それぐらい裁判が中途半端すぎて、本当は中心的立場の者が釈放されてしまったがためにオウム真理教は信徒を洗脳するから怖い、という一言だけで済まされてしまっているのが残念でなりません。
洗脳の部分をもっと様々な方面から明らかにすべきだったのではないでしょうか。
例えば、
との比較など。
よくオウムのマインド・コントロールはこの本を元に説明されることが多いですが、
私は今一つよく分からないです。
読もうとしていて積読状態です。
広瀬健一さんの著書がわかりにくい、とっつきにくいと言われるのも、この本とオウムでの洗脳過程を地道に比較していくのは結構大変なことで、
それを一般向けに分かりやすくすることは難しいからだと思います。
だからこそ、広瀬健一さんの書籍はいつでも販売していてほしいものです。日本のカルト宗教に関する貴重な研究成果として。
次は、林郁夫さんの裁判がどのようなものであったかをエントリーします。