僕は二つの世界に住んでいる

現代社会と科学の空白に迷い込んだ人物を辿るブログ。故人の墓碑銘となれば幸いです。

抽象的なことばかり言っているんですね

これは、1996(平成8)4月24日にようやく開かれた
初公判以降の教祖・麻原彰晃の言動に関する新聞記事を
読んだ中川智正さんの所感でした。

(「朝日新聞」1996年5月21日夕刊)

教祖の初公判の様子については、青沼陽一郎氏の『オウム裁判傍笑記』が
優れているように思います。

 

 

 

動画はこちらです。

 

youtu.be

 

青沼陽一郎氏は初公判の日の午後の部から傍聴していました。
それは、大手マスコミ関係者の中で午前の最初だけ見ればもういいとばかりに
法廷を後にする人があって、午後から券を譲ってもらって入ることが出来たのだということです。

それ以降、傍聴人が少なくなっていくオウム裁判に通った成果を著書にされたからです。

それと、降幡賢一氏の『オウム法廷』シリーズが古書でも入手しずらいというのもあります。オウム真理教の裁判がどのようなものであったのか、その概要をつかむのによいと思います。

降幡賢一氏『オウム法廷』では2上です。

 

 

午前中から始まった裁判は、午後に入っても延々と起訴状の朗読が続くだけでした。

一月前に行われた井上嘉浩さんの裁判でも地下鉄サリン事件の被害者名が次々読み上げられていったのですが、井上嘉浩は被告席で背筋を伸ばして聞いていたのに対して、

教祖は、いつのまにか昼寝に突入・・・。

傍聴席から分かるぐらいに寝ているのが丸わかりでした。

その初公判の最後に弁護側の要請で以下の話をしたと記録上ではなっていて、

それが新聞記事などとして拘置され裁判中の他のオウム真理教被告たちにも回覧されることとなったのです。

 

「私は、逮捕される前から、そして逮捕された後も、ひとつの心の状態で生きてきました。

それは、すべての魂に、絶対の審理によってのみ得ることのできる

絶対の自由、絶対の幸福、絶対の換気を得ていただきたい、そのお手伝いをしたいと思う心の働き、そして、その言葉の働きかけと行動、つまりマイトリー、聖慈愛の実践。

絶対の真理を知らない魂から生じる不自由、不幸、苦しみに対して、大きな悲しみを持ち、哀れみの心によって、それを絶対の真理により取り払ってあげようとする言葉と行動、つまりカルナ、聖哀れみの実践。

絶対の真理を実践している人たちに生じる絶対の自由、絶対の幸福、絶対の歓喜に対して、それをともに喜び賞賛する心、そしてその言葉の働きかけと行動、つまりムリター、聖賞賛の実践。

そして、今の私の心境ですが、これら三つの実践によって、私の身の上に生じるいかなる不自由、不幸、苦しみに対して、一切頓着しない心、つまりウペクシャー、聖無頓着の意識。

私が、今、お話できることは、以上です。」

 

これは麻原弁護団によると、「認否の留保である」とのことでした。

私は正直この教祖の言っていることがわからないし、

支離滅裂な宗教用語を並べ立てて何かを言おうとしたにすぎないと感じました。

もし信徒だったら、こんな人についていった自分を悔いるだろう・・・。

悔いた信徒さんもいたと思います。

おそらく麻原初公判の記事を読んだあとの中川智正さんの反応がどのようなものであったか、ご両親はじめ、現世、世間の中川さんを知る人たちは注視していたことでしょう。激しく悔やんでほしかったでしょう。

こんな教祖についていった自分の犯した罪を悔いて欲しい、気づいてほしいと思いながら。

中川さんは、教祖初公判と第二回の記事を、終始落ち着いて、丹念に目を通しただけでした。

 

朝日新聞に裁判の様子を取り上げられた中川さんは、この日は都庁爆破事件などに関することで、罪を認めて泣く様子も取り上げられたのですが(このことについては、中川さんを見ていく上で大切なので別にエントリーします)

自分の罪は認めているのに、なぜか教祖を恨んだり、教祖についていった自分を激しく悔いる様子がないのです。

このあたりが、他のオウム真理教の被告とは異なる部分ではないかと思うのです。

中川智正さんが裁判中に発した有名な言葉

私たちはサリンを作ったり、ばらまいたり、人の首を絞めて殺すために出家したんじゃない」は、この後5年も経った、2001年の言葉でした。

中川智正さんを知る上では、麻原公判の初期は、自身も共犯として裁かれているのにも関わらず、非難も、怒りも、悔やみもしないで、淡々と新聞記事を丹念に読むだけだった。しかし罪は認めている。

常識的には理解できない。

少なくとも私は理解できません。

そんな状況で過ごしていたのでした。

それと対照的だったのが、林郁夫さん、井上嘉浩さんだったと言えます。

だからこそ、世間一般は、悔やんだり泣いたりする林郁夫さんらには注目したのではないかと思うのです。