今回のエントリーでは、オウム真理教がなぜVXを製造したのかを記します。
VXは、イギリスで合成された物質で、その毒性は人類がつくった化学物質の中で最も高いとされており、温帯では一週間効果が残留すると言われています。
アメリカ陸軍は、イギリスに核兵器の情報を与えるのと引き換えに、この物質の製造に関する知識を得たとのことです。
アメリカの陸軍の機密事項なので(当たり前)オウムの武装化の一環で製造をしようにも中々難しいものがありました。
なお、中国人民解放軍もVXについては勉強をしているとのことです。
- オウム真理教がVX製造したのはいつか?
製造準備が始まったのは1994年7月です。土谷正実さんが上司でもあった遠藤誠一さんから準備を指示されましたが、ノウハウをしらず、文献を探したが見つかりませんでした。
そんなときにアンソニー・トゥ先生のこの論文が出されます。
「猛毒「サリン」とその類似体--神経ガスの構造と毒性」(『現代化学』1994年9月号)
この論文の簡略化した化学式にヒントを得て、土谷正実さんはVXの製造に成功してしまいました。
トゥ先生は悪用を防ぐために式を簡略化したのですが・・・。
この雑誌が発行されたのが1994年8月15日だったので、製造に着手したのは9月以降といいます。
なぜVXを製造するようになったかというもう一つの理由が、松本サリン事件後、現場の土壌でサリンが検出されたためでした。
松本サリン事件をきっかけに、オウム真理教はサリンに代わる毒物の製造を何としてもしなければならなくなりました。
アンソニー・トゥ先生の論文は日本の読者、特に警察関係者にも重宝されましたが、一方でオウム真理教が今度はVXの製造に成功するきっかけをも与えてしまったとも言えます。
中川智正さんは、アンソニー・トゥ先生の論文がなくとも、土谷正実さんならばあと1、2か月あれば製造に成功しただろうとのことです。
(アンソニー・トゥ先生が自分の論文が殺人に悪用されたことでいたたまれない気持ちであったから、中川さんはそれをフォローするつもりで、「土谷ならあと少しあれば自力で作れた」と言ったのではないでしょうか。)
VXの合成を知っていたのは、土谷正実、村井秀夫、遠藤誠一と麻原彰晃、そして
具体的ではないけれど合成している事実を知っていたのが中川智正とのことです。
合成作業は非常に危険であるため立入禁止とされ、合成作業をさせられた信徒も、何を作っているのかは知らされてはいなかったとのことです。
- VX製造と教団内人間関係
私も今まで気づいていなかったのですが、中川智正さんは、サリンは製造したけど、
VXの製造はしていなかったということです。
一時期はサリン製造の責任者ともなっていたこともありましたが、1994年4月には
製造の立場からは外されています。これは遠藤誠一さんが、中川さんに「出て行ってほしい」といったからです。
遠藤誠一さんと中川智正さんは、ステージは遠藤さんが上で、中川さんからみると、遠藤さんは「教団から大切にされている人」ですが、嫌うことはなかったのでした。
中川さんが外されたのは、遠藤誠一さんが能力を嫉妬していたとされる土谷正実とも仲がよかったため、遠藤さんは自分の立場を強くするためだとされています。
中川さんがVXの製造に関わっていないにも関わらず、教団の起こした事件すべてで起訴されているのは、製造に関わらなかったかわりに、実行犯への具体的指示と医療役として関与したからです。
教団は、サリン製造と使用を分業化することで、責任を分散化させています。
サリンの危険性を知っている者は、すでに殺人をしている幹部を除き、命令に従順な信徒が実行役に選ばれていました。
土谷正実さんはサリン、VXなどの毒物の製造させたけれど、実行犯に選ばれなかったのは、犯罪行為の結果には耐えられないと教祖から思われていたからではないかと言われています。
土谷正実さんは、教祖からサリンなど完成させるたびに喜んでもらえること、ステージが上で、生物兵器製造に失敗した遠藤さんよりも自分の能力を教祖に認めてほしい一心で、何日も寝ないで与えられた研究棟に籠りました。
そんな姿を知った中川智正さんは、VX製造は危険すぎるし、原材料の入手が困難であると教祖に進言したのです。
一時、教祖はVXの製造に難色を示したのですが、今度は遠藤さんが「少量ならできますよ」と進言したため、結局製造が続けられたのでした。